ニューヨーク・ワクチン接種物語2

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今日はこちら上の話の続きです~~。2話目!

 

ギリシャ・スタイルのカフェで予約が取れてほっと一息。ティーポットでたっぷりと提供された白茶を飲む。おいしい。ウェイターさんも少し前に接種できたという。

予約が取れたら取れたで不安になってきた。私達に回ってきたのはどのワクチンなのだろう。疑問を口にすると同時に、パートナーが調べ出した。

漠然とファイザーがいいなと思っていた。予防への有効率90パーセントと超えるし、会社名を聞いたことがあるし、義両親もそれだったようだし…と、安心を求める思考は根拠をそこかしこに求め巡った。

結果、ジョンソン・エンド・ジョンソンのものだったと判明する(以下、J&J)。J&Jのワクチンは米国内での有効率75パーセント、その他地域を含めると66パーセント。不安だ。20パーセント以上の開きがある。

 

ファイザーやモデルナ製と違って、従来のワクチンの技術を使っているから長期的に見たら、新技術より安心なのではないか。

J&J製は接種後の死亡例はなく、重症化、入院もない。かかったとしても死なないということではないか。

死ぬ確率が30パーセント以下になるのだったらば、未接種の今より格段に安全ではないか。

 

パートナーと様々に意見を出し合った。

自分たちで判断するには現代医療に関する知識がなさすぎた。

一生懸命に科学的であろうとしつつ、「安心したい」「早く接種したい」「コロナで死にたくない」という感情がせめぎ合っていることは確かだった。

冷静でいるのはとても無理だった。

ふたりとも期待と不安で高揚していた。

東北で原発が爆発した2011年と以降の数年を思い出した。必死で原子力に関する情報を集めていた。東京に住む自分の命がどれくらい危機にさらされているのか、東京を離れなければならないのか、どうしたら安全性を高めつつ暮らせるのか、被爆量が低い食べ物は何か…ともかく知りたかった。にわかに原発原子力に関する知識が増えた。素人なのに、いや、素人だから、知らなかったから。当時は安全かどうか「判断」したくてたまらなかった。他に類するもののない期間だったが、その時に似ていた。

この時の経験から、私はこういう時の自分が冷静ではなく、判断を下すほどの知識もないことを学んでいた。パートナーとの議論も感覚が先走って堂々巡りになりかけていた。

不安なのだ。そして、安心したいのだ。

 

帰り道、ハーレムへと続く坂道を歩きながら、現代医療の医師をやっている友人に聞いて、「ファイザーでも大丈夫」というお墨付きをもらったら、明日接種しに行こうという結論にふたりで達した。

安全そうな道を選び歩いて帰った。日本では必要ない「この道は暗くなったら危ないかも」のカンも育ちつつある。

ニューヨーク・ワクチン接種物語3へつづく

(42日目/50分/1087文字)

 

冒頭のレストランはここです。ブランチもおいしい。

www.elysianfieldscafe.com

ニューヨーク・ワクチン接種物語1

ニューヨーク州では2021年3月29日に行政発表があり、3月30日から30歳以上がコロナワクチンの接種対象となった。以前の情報では、医療従事者や高齢者を優先にワクチン接種をスタートさせ、30歳以上に順番回ってくるのは5月になると言われていた。随分な前倒しだ。追って4月6日には、16歳以上に対象年齢が引き下げられた。

少し遡って3月初旬か中頃だったか、対面授業を受け持つ各種教員へのワクチン接種が始まった。パートナーも職種的に対象となったが、今学期の授業やオフィスアワーはオンラインですべて実施していたので、もっと優先すべき立場の人がいると遠慮していた。

こんな話をしていたのが、もう冬は終わったと、厚手のジャケットのまま外でたむろする人が増えるハーレムの街角が教えてくれていた頃だった。

死を意識せざるを得ないニューヨークで生き、私はパートナーがワクチン接種の権利があると知ると身体の中が広がる思い気がして、気が急いて私は「次学期に備えて打ったらいいじゃない」と提案した。それでも「自分より必要な状況にある人がいるはず」と冷静に考えるパートナーの意見にヒューマニティーを見出し、素晴らしい人だと思った。

このときは、こんなに早く自分たちの順番(30歳以上)が回ってくるとは思いもしなかった。

 

30歳以上を対象にしたワクチン接種が始まって、すぐ行動を起こした友人Aさんは1時間ほど予約サイトをリロードし続け、ようやく予約を取れたという。この話を聞き、もうしばらく後でいいかと思った。彼は友人のなかでも一番厳重にコロナ対策をしていた人だ。

4月4日の日曜日、友人Bさんと1年以上ぶりに再会した。パートナーと私を引き合わせてくれたこの友人は、ニューヨークがロックダウンになったその日に日本から米国に帰国したと言う。友人はワクチン接種を済ませたと言い、久方ぶりに他者とハグで挨拶した。ワクチン接種も再会もハグも嬉しかった。

友人に聞けば、便利なツイッターアカウントがあって、予約空き枠がでるとツイートで通知してくれるのだそうだ。早速登録した。その日の夕方、Bさんと別れ、ギリシャ・スタイルのカフェでパートナーとふたり、外席でお茶をしていると、ツイッターがピロンと鳴った。

ワクチンの通知だ!

ふたりでめちゃくちゃに焦った。早くしないと!チャンスだ!

1時間リロードし続けたAさんの顔が思い浮かぶ。

登録作業!

こういうことは母語でないと途端にハードルがあがる。

英語で個人情報を一通り聞かれる。

ちょっとした英語を読むのに母語の数倍かかることもある。

アレルギーや持病などに関する小難しいことも聞かれたかもしれない。

英語を自力で読むより、パートナーの後をついて解説してもらいながら登録したほうが早いと判断し、そうした。だから、何を登録したか何も覚えていない。

あっという間に、だが体感的には長時間を費やし、翌日の4月5日に予約が取れた。会場はブロンクス。やりました。

ニューヨーク・ワクチン接種物語2へつづく

(41日目/1時間/1204文字)

 

これがワクチン予約に便利なツイッターアカウントです。

twitter.com

 

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友人Bとはコロンビア大学で待ち合わせ。学生たちが日向ぼっこしてるのが大変良い。

 

ハーレム・ネイバーフッド

ある日、近所での買い出しの帰り。アパートメントの入り口で、パートナーは鍵を探していた。荷物を持った状態で少し手間取っていた。

アパートメントの入口前には階段とスロープがあり、人がそこで寒くても暑くてもたむろしている。その日も、アパートメントに黒人男性がいて、紙巻きたばこを作っていた。「お前らそこで何してる?」と鋭い声で言われた。振り向いて「ここに住んでいて、鍵を探していたんです」と伝えると、男性は「なんだ。たばこを巻いていたから、警察かと思ったよ」と言った。

「違いますよ。私達は警察とは真逆の人間ですよ」

警察は嫌いだし、アナキズムが好きなんです、という言葉は飲み込んだ。それはちょっと話しすぎだろう。

そこから彼は破顔一笑ジーンズのジャケットとダメージジーンズに身を包んだ彼は話しだした。

 

ハーレムは良いコミュニティだ。俺はここが好きだ。

―――――住民だろうか。

いつからここに住んでるんだ?

―――――「去年の夏頃です。良い所ですよね」

そうか。俺はあのビルに妹が住んでいて、そこを訪ねて今日はやってきたんだ。

ハーレムの人間はいい人ばかりだ。

みんな、親切で優しい。

―――――「引っ越してきてから本当にそう思いますよ」

ここで上手くやっていく方法を知っているか。

―――――「知らないけど、何だろう」

挨拶して、話しかけるんだ。

そうすりゃ、向こうも話してくる。

そうやってコミュニティに溶け込むんだ。

ここの人間は誰かを拒否したりしないだろう?

―――――「そうですね。本当にそうなんです。実感してます」

―――――英語でさっと言えなかったが、白人街は黒人を拒否し続けてきた歴史があるのにね、と心のなかで思った。

そうなんだ。ここはいい所だ。

俺はここには住んでいないけど、こうやってくると、ホームに帰ってきたなと思うんだ。

安心するし、受け入れられてるって思う。

そう。それでだ。挨拶して、話しかける。

―――――「本当にいい所ですよね。でも私達、とてもシャイでなかなか話せないんです。」

―――――実感としては、ジェントリフィケーションしてきた側にいるであろう私達が、彼らに話しかけて彼らのコミュニティを変態させてしまったらどうしようと思っていたな。でも、一度も拒否されたことは無かったのも確かだ。

シャイなのか。それだと、ちょっとまあ、損してるな。

もっとオープンになるといい。

話してみるといい。そうすりゃ、ここがもっといい所だって分かるよ。

 

巻き終わったたばこを指に挟んだまま、立ち話をした。

 

その後は、彼が仕事でインドへ行って、また米国へ帰ってきた話。

妹さんが住む建物の歴史。

建物は現代的で日本でもありそうなシンプルなデザインの高層マンションで、珍しい概観だったので、大きさ的には似てるけど公共住宅とも違うし何だろう、と疑問に思っていたものだった。割とお金がある黒人層の居住地域をハーレムエリアへ広げるために建てられたのだそうだ。

 

俺はおしゃべりだからさ。話しちゃうんだよな。ははは。

 

―――――「私達、シャイだから話しかけてもらって良かったですよ」

そう言って笑った。

楽しかった。

嬉しかった。

挨拶をしてアパートメントへ入っていった。

彼は、また階段へ腰を下ろした。

たばこを吸っただろうか。妹さんの家へ帰っただろうか。

 

オッサンの話は(自分を守るために)大抵嘘含みだと心のなかで藪睨みしながら聞いてしまう癖、でも同時にそれが彼らにとっての真実だと分かっている思考、これは野宿者運動に関わるなかで染み付いたものだ。私も若かった自分を守るためだったとはいえ、こういう時に悔いる。

もっと素直に喜んでオッサンの話を聞きたかったな。

この癖は、もっと上手に出したりしまったりできるようになろう。

できれば、もうしまっておきたい。

もうちょっとハーレムやここに住む人、働く人と仲良くなりたいと思った。

 

(1502文字/50分/40日目)

ニューヨークの曇り空と詩のこと

今朝は早く目が覚めて、コンタクトレンズをしていないぼやけた視界のまま、窓の外を見た。曇り。明るい暖かな春の曇った空と、道向いのアパートメントが見える。

美しいなあと思う。

晴れていても、雨でも思うのだけれど。

美しいとか使わずに美しいと伝えられたらいいのだけれど。

 

私が住むのは1900年代に建てられた古いレンガ造りのアパートメント。

ニューヨークには、建物を建てる際には暖房器具の設置が義務付けられており、違法建築でなければ、部屋の隅にパイプを這わすヒーターが設置されている。セントラルヒーティングでスーパーと呼ばれる管理人さんによって管理される。さらに摂氏14度になったら暖房をつけなければいけないという法律がある。

ここのところの気温は摂氏10度前後と暖かいのだが、この法律では暖房点火が必要な気温なのでヒーターがついている。窓を開けなければ暑い。汗をかく。

この寒かった冬も室内ではほとんど半袖短パンで過ごしているし、夜は布団から半身はみ出して下着姿で寝ている。

暖かく過ごせるのはありがたいが、この地球温暖化のご時世、もう少し調整できたらいい。

前のアパートメントはオイルヒーターのパイプがカンカンと高い金属音を立てていた。今のヒーターは時折動かなくなるので、電動ドライバーで空気を抜いてやらないといけない。ちょっとした不具合がたくさんある。日本のように万全なものはあまりない。

でも愛せる。いとおしく感じる。とても好き。

お陰で私も少したくましくなった。工具は不慣れだがもう怖くない。

背丈が足りず、椅子に乗っても手を伸ばしても届かない所もあるけれど。

 

ベッドに入ったまま、枕をヘッドボードに積み背もたれにし、ぼやけた視界で詩集を読んだ。

詩集は、特別だ。ほかのどんな本とも違う。

読了を目指してガンガン読むものではないと思っているし、読めない。

時折開いて、数編読んで、閉じる。

パラパラとめくり、たまたま止まったページを読む。

また数編読んで、閉じる。

分かろうとすると、分からなくなる。

たくさん読みたくても、すぐに脳と心がいっぱいになる。

言葉にできない感覚が沸き起こり、共感覚のようなものがせり上がってくる。

 

詩はいいもの。詩集もいいものだ。

詩はすごい。詩人もすごい。

美しいものを、美しいという言葉なしに伝えてくる。

感情や感覚が言葉になる前の、あのじんわりとした形のないものを、言葉でもって差し出してくる。

受け止める私は、やっぱり言葉にならない、あのじんわりとしたものを抱えるだけだ。

 

今朝は珍しく、一冊の詩集を読み終えた。三角みづ紀さんの『どこにでもあるケーキ』。

忘れていた13歳の感覚と日々が、記憶が、蘇る。

どうしようもなくティーンエイジャーだった私。

詩と絵をかいていた私。

セーラー服を着ていた私。

今よりも意地悪で、他人の人生を生きていて、自分が嫌いだった私。

またすぐ開くだろう。

何度でも読みたい。またサイドテーブルに置いた。

 

詩集との付き合い方を変えたいなと思った。

もっとたくさん読んで、自分のなかの詩との付き合い方、味わい方を変えたい。

もっと詩を知りたいし、詩を楽しみたい。

 

コンタクトレンズをしないままで、また窓の外の曇りを見る。

とても静かだった。

(1309文字/40分/39日目)

 

nanarokusha.shop

サイン入り売ってる。ちょっといいなと思う。

ニューヨーク/2020年を生き延びて400年

ニューヨーク市立博物館へ行ってきた。

 

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ニューヨーク市立博物館。コンパクトでいい。

 

ニューヨークという生きた街の歴史や今が紹介される博物館。多様な視点からニューヨークを見せてくれて、見応えがある。規模はさほどではないので丁度いい。

現在の展示は7つ同時に開催されており、展示室やひとつにつき、1展示という形式。

特に楽しみにしていたのは、このふたつ。

 

New York Responds: First Six Month

2020年、ニューヨークと、ニューヨーカーがコロナのパンデミックと、BLM運動にどう応えたか、何が起きたか、どう力を合せ、生き延びたか。今、まさに起きている歴史を紹介する。

 

Activist New York

17世紀から現在まで400年間にニューヨークで起きた社会運動を当時のポスターや、フライヤー、バッジなども展示しながら、主に14つの運動を紹介する。

 

New York Responds: First Six Month

忘れてたたくさんのことを思い出した。パンデミックと同時期に起きたBML。死ぬかもしれないという恐怖と無意識の極度緊張。死と悲しみと怒りに囲まれていた。

窓さえ開けられなかった。

次々に近所の学生が地元や自国へと帰っていった。

がらんどうのような街。

外に行くと死ぬかもしれないと身体がこわばった。

毎晩7時にフライパンや鍋を鳴らして、もしくは拍手してエッセンシャルワーカーに感謝を伝えたこと。

延々と伸びるスーパー外の行列。

どこまでも途切れないBMLのクリティカル・マス。

夜中まで鳴り響く威嚇する都市の音。

辛い記憶を思い返すことで、今はその渦中から少し脱出していることを確認し、心の中が落ち着いていくのを感じた。

3.11、東日本大震災津波の記憶を展示し続ける気仙沼のリアス・アーク美術館を思い出した。

  

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ジョージ・フロイド氏の肖像。薄いダンボールに描かれていて、それが、社会運動や市民を象徴しているようだった。

 

Activist New York

博物館で社会運動の歴史が、「人びとが変革を起こした、社会にとって必要で重要なこと」という視点に立って展示されるということそのものに感銘を受けた。奴隷解放運動、禁酒法反対運動、縫製労働者運動、公民権運動、トランスジェンダーの運動、反戦運動ウーマンリブ反核運動…などなど14もの運動が紹介されていた。

日本の社会の授業で習うようなものから、自分でフェミニズムジェンダー問題を学ぶなかで触れてきたもの、そして全く知らなかったものまで。

展示は解説や年表がキーになっていたが、ちゃんと読めなかったのは悔やまれる。同名の本も写真たっぷりで販売されているので欲しい。

  

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1セクションはこんな感じでまとまっている。これは反核運動

 

他のものを含め展示を全て見て、「この街好きだなあ」と改めて思った。1年強暮らして、少しだけ、愛着が湧いていることを実感した。もっと知りたいし、楽しみたい。

 

帰りにデリにより、パニーニを買った。セントラルパークで食べた。

新芽が吹き、鳥のさえずりが聞こえる。もう温かい。

ピクニックする人、犬や子どもと散歩する人。釣りする人。鳥の写真を取る人。

人種はさまざま。ジェンダーは目に見えない。

ああ、みんな生き延びたんだな。

今日もまた歴史の一部。

嬉しくなった。

 

 

(1154文字/40分/38日目)

※ちなみに冬の間は、鳥は地鳴きしかしない。春になるとさえずりという鳴き方をするのです。

 

ニューヨーク市立博物館のウェブサイト

www.mcny.org

 

アクティビスト・ニューヨークの本はこちら。フルカラー写真集+解説。英語があまり得意じゃなくても写真集としても楽しめます。

www.bookculture.com

 

気仙沼のリアスアーク美術館。津波と災害の常設展がものすごい。何度見ても静かな圧がある。足元から埋められるような。

rias-ark.sakura.ne.jp

イレズミの研究始めました

最近、誰に頼まれたわけでもないし、大学や研究機関に所属しているわけでもないのに、研究作業をしている。ここのところブログをあまり上げていなかったのは、これをしているから。

それがもう面白くて楽しくて。

テーマは日本のイレズミについてで、主に近代のことを調べている。

 

勉強や読書はずっと続けていたけれど、研究と勉強は違う。大学院生時代が辛すぎて、「勉強は好きだけど研究は別物。辛すぎる。もう絶対やらない」と思い続けてきたけど、読書の積み重ねや、友人との対話によって、自然に研究作業を始めていた。

 

設定した軽い仮説(疑問)をもとに、論文や本を探して読む。幸いパートナーが大学教員なので、論文や雑誌を読める専門のシステムへのアクセス権がある。それをこそっと使わせてもらっている。これが本当にありがたい。拝める。

細々とした仮説と学びを行ったり来たりしながら、少しずつ進んでいる。学生時代もこんなふうに楽しめたら良かったなあ。

 

イレズミをテーマに調べているのは、駆け出しタトゥー・アーティストの友人が「日本特有の美って何なんすかね?近代文学のいい本知ってますか?」と連絡してきたことがきっかけ。左派思考で国民国家に疑問を持つ彼が「日本の特有の美」とか言い出すから、とても驚いてふんふんと話を聞いたのだった。対話の中から彼の疑問が明確になり、わたしもそれに乗るかたちでよっしゃ!調べたろ!と火がついた。

「近代に和彫(の図柄やスタイル)が発達しなかったのはなぜか」

というのが彼の疑問であり、私の(初めの/大枠の)疑問でもある。彼曰く、日本のイレズミというと、図柄やスタイルが江戸末期まで一気に遡り、そこから発展が無いという。韓国やヨーロッパ、台湾など他国のイレズミは発展し続けているのに、日本はなぜ?と。

イレズミは好きなだけで、調べたり読んだりはほとんどしてこなかったので、ほぼ何も知らないところからのスタート。ひとまず、現代の主たる和彫りのスタイルが完成したと言われる江戸末期から明治時代のことについて調べている。

 

気分はもう、多々良勝五郎(※)なのです。ヒヒッ。

(※京極夏彦の小説「京極堂シリーズ」の登場人物。大陸の化け物を研究している在野の民俗学者、妖怪研究家)

 

(920文字/30分/37日目)

 

 イレズミ先生こと、山本芳美先生の本も読みます。

新書816イレズミと日本人 (平凡社新書)

新書816イレズミと日本人 (平凡社新書)

 

 

ホストファミリーと元留学生

高校生の時にニュージーランドに約1年間留学していた。2000年、もう21年も昔の経験。お父さんとお母さんふたり家族のホストファミリーにお世話になって暮らしながら、語学学校に通った。キャラメルキャンディが入ったホーキーポーキー・アイスクリームを美味しく食べたり、スカイダイビングやイルカ・ウォッチングを体験したり、シティ・センターと呼ばれる都心部の裏通りをうろついたり(危ないから行っちゃだめと言われていたけど、もう時効でしょう)、いい思い出。文化の違いに驚き、自他を受け入れる自分の在り方の基礎は、この1年で作られたと思う。

 

昨日は、同じホストにお世話になった元留学生たち(みんな日本人)と、ホストペアレンツでZoomをした。ホストペアレンツとはメールやクリスマスカード、Facebookなどで交流が続いていたが、学生同士は繋がりはなかった。先輩のAさんがFacebookを通じて私を含め他の元学生を探しつなぎ、オンライン電話の開催に至った。ホストファミリーを介せば元学生同士が繋がるのは難しくないのだけれど、Aさんはサプライズがしたいとの意図で、ホストには内緒で繋がりを作っていった。驚くべき連絡のマメさであっという間に元学生同士のLINEグループができ、自己紹介が始まり、何期生か、日本での所属学校はどこかなど、おしゃべりが展開された。

 

日本、ニュージーランド、米国の時差を調整したZoomに出席すると、ホストペアレンツは元学生にあてがっていたお部屋でつないでいて、背景に映った変わらない真っ白なベッドと机が嬉しかった。同じく白に金色の小さなバラのレリーフが施されたチェストか鏡台にカメラとパソコンを設置しているのだろう。かわいくて大好きだったな。

元学生同士ははじめまして、ペアレンツとは久しぶり、と挨拶を交わした。サプライズは見事に成功して、ふたりは嬉しそうだった。今何をしているのか、コロナの状況はどうか、家族は元気かなどの近況報告をし合った。垣根の感じられない交流で、あっという間の時間だった。

英語が分からないところは日英、英日通訳をお手伝いした。ニュージーランドの発音がなつかしく、また今はそれに耳が慣れていないので難しいところもあった。聞き返したり、復唱して自分の理解を確認したりしながら話は続いた。

 

また集まりましょう!と口々に言い、それぞれに退室した。次回も近いでしょう。

元学生だけで集まって、思い出をおしゃべりしたりもしてみたい。

(995文字/40分/36日目)