結婚証明の取得と苗字の話(2)

こちらの話「結婚証明の取得と苗字の話(1)」の続きです。

 

結婚証明手続き2日目、2020年1月22日(水曜日)当日、朝早く目が覚め、緊張から思考停止状態になっていたこともあり、瞑想の時間を持った。だいぶ落ち着いた。自分で思っているよりもかなり緊張しているようだ。 

24時間後の市役所へ再び来た。

今日は、役所の入り口で証人担ってくれる人と待ち合わせ。パートナーの友人の一人。パートナーの良い友人ということだけを聞いていた。私は初対面だった。人間大体、類友だから。忙しいスケジュールの中から平日に半日空けなければならず、証人を探すのも結構難しいので、忙しい中、応じてくれたのは本当にありがたいことだ。

(*ニューヨーク市役所で婚姻届を出す場合、証人がひとり、必要になります)

 

昨日の夜は、初日に区役所で着飾った人たちを見て、少し慌てていた。「そうか、着飾っても良いくらい大切な日なんだな」と分かったからだ。もちろん着飾らなくても良いんだけれど、着飾りたいなと思った。服をアレコレ考えた。一番お気に入りのドレスはまだ船便で運ばれている最中だし、あっても何より寒すぎる。「好きなものを着て寒ければタクシーを使えば良いよ」とパートナーは言っているし、ダウンタウンまではそんなに値段も高くないし、確かにそうなのだが、タクシーはなんとなくお金を無駄遣いしている気になる。白い大きなリボンのついたドレスも気に入りだったが、白というウェディングドレスにドストライクな色がなんとなく嫌だし、合わせたいヒールとベルトはまだ届いていない。着物はいくつかすでにあるが、紐が足りないので着れない。というかコーリンベルトしか無い。こんなに近々に盛装が必要だと思わず、ほとんどの物が船便の中なのだ。そして船便は送ってから到着までに最低2ヶ月かかる。頭をグルグルさせているうちに、シャイニーなカーキのスーツがあることを思い出した。これにしよう。パンツルック、変な色のスーツ。インナーは黒。2014年、銀座で行われた脱原発スーツデモにも着て行った物だ。大好きなドラマ「brooklyn 99」の主人公のひとり、エイミーもいつもパンツルックでかっこいい、なんとなくエイミーを思い出していた。ファイルに書類を整理するのが好きで、文房具とクイズが好きで、緊張に弱くて隠れてタバコを吸っていて、とても真剣に仕事をし、負けん気が強く、笑っちゃうくらい真面目に生きていて、尊敬できる人から全てを吸収しようとし、、、なんとなくシンパシーを持っているのだ。

着飾るのは楽しい。いつだって。自分のために着飾るのは楽しい。パートナーも気に入ったようで嬉しかった。誰かが自分の好みを好意を持って受け止めてくれるのは、また別の嬉しさがある。

 

地下鉄で出かけた。昨日より寒くなくて良かった。市役所でセキュリティを通り、受付番号を取得し、待つ。儀式のようにトイレに行った。私がバッグから水筒を出して水を飲んだことから、証人と3人で、ペットボトルや箸、ビニール袋など使い捨ての物などを中心に環境問題について話して待った。全然、結婚、関係無い。良い。

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待ち時間に写真を取るよね。

ここニューヨーク市役所は、全米で最も多く結婚証明の手続きが行われる役所だ。その次はラスベガス。ついでに遊ぶんだろう。大人だし。あと、24時間待つ制度も無いので簡単だ。

 

また15分ほどで順番が来て、8番カウンターへ。職員の人が5人くらいいるな、と思ったら、OJTだった。お疲れ様です。まずは、全員分の身分証明書の確認。そしてメインのスタッフの人が新人さんに「こことここを確認するんだよ」と指導。証人のサイン。書類に記入された事項の確認と両人のサイン。手続き料金35ドルをクレジットで支払い。ひとつひとつの作業に、新人さんへの指導が挟まれ、手続きは完了。

苗字に関しても昨日登録しているので、簡単に確認されただけだ。これも大切なことだ。新しい選択肢に関して、理由はいらないし、特別扱いをする必要もない。別の用紙も要らないし、他の選択肢と同様に、職員の質問に答えると、職員がパソコンでチェックボックスに入れていくだけだ。選択肢が並立していること。何も特別ではないこと、何も聞かれないことに感動した。

この苗字の話(1)を投稿した後に、友達がFacebookで、日本での国際結婚の苗字について教えてくれた(ありがとう!!)。国際結婚の場合は、夫婦別姓がデフォルト。しかし、女性の姓を取ろうとすると別途書類が必要で、「日本にある差別を体現した制度」だと言っていた。選択肢があれば良いってもんじゃない。制度の根底にある思想が大事だ。思想が。

 

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サイン中。テンション上がってる顔。

次は、セレモニーだ。

セレモニーには宗教色は無い。簡単な誓いの言葉を言う。そこで使われる言葉は一般的に、「夫(husband)」「妻(wife)」もしくは「配偶者(spouse)」なのだが、いつもお互いに使っている「パートナー(partner)」にしてもらった。変えられて良かった。ちなみに、英語でも配偶者(spouse)も差別感の無い言葉であるとのこと。

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セレモニー用の部屋その1。

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セレモニー用の部屋その2。

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こっちでやれて良かった。

レインボーカラーの絵が掛かった部屋が割り当てられて安心。しかし、ここに来て急に緊張度が増した。パートナーと向かい合って立つ。ピンクの髪が素敵な市役所職員さんが近いの言葉を読み上げる。自分が思ったより感情的になっていたようで、不意に涙が出てくる。感情からくる涙を、無意識に「泣いちゃいけない」と押さえ込もうとして、「いやいや、泣けば良いんだよ」といういつもの心の中のやりとりをした。一人ずつ呼び掛けられ、それに応じて、「誓います(I do)」と言う。誓いのキスをする。戸惑った。今思えば、何かを誓うためにキスをすることってこの日くらいなんじゃないか。最後に、証明書を手渡された。ペラリと1枚。ファイル、持ってない。

セレモニー自体は、ほんの数分。5分も無いんじゃないだろうか。写真を満足するまで撮影して、100年以上も前の大きな結婚台帳を眺めて、「馬車の運転士かあ〜」などと職業欄を観察。

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手書きではなくタイプしてある。馬鹿でかいタイプライターがあったのか。

全てを終えて、少しリラックス。フォトブースで写真を撮る。折角なんでね。観光地っぽいばかばかしさがあって良い。床が汚い。またトリミングでもしよう。

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もう、自分の写真をあげるのに飽きてきたよ。

手続きは本当に終わり。証明書をリュックの背中にそっと入れて(ファイル持ってない)、コートを着た。

もし、ニューヨーク市役所で結婚する人がこのブログを読んでいたら、伝えたい。ファイル、持っていくべき。これは本当。

 

美しい建物もお見せしたいので外観での写真もあげる。自分たちが写ってないやつも撮れば良かった。

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古い建物から感じる良さってある。

 

市役所を出た後は、お礼も兼ねてランチをしようと、証人と一緒に近くの中華素食のお店へ。中華街がすぐそばで、レストランには事欠かない。証人の方はベジタリアン、パートナーはビーガン、私はなんでも食べる。食事の席で、改めてお礼を伝え、逆に「私に証人を頼んでくれてありがとう。とても光栄」と言われ、ああ、本当にそうだよなあ、他者の結婚の証人になるのはとても光栄なことだよなあと気づく。
食事中の話題は、大学の大学院生の扱いがひどいことと、学生労働組合の話や、日本の社会や社会運動のことになり、意見を交わす。私のリスニング力がまだまだで、掴み損ねた話題があり、質問をもっとしたかったけど、頓珍漢になったら嫌だなと思って、質問をうまくできなかった。こういうのよくないな、もっと突っ込んでいこう。

食事の後は、仕事に戻るという証人と別れ、また会おうねと挨拶した。

 

緊張もどうやらたくさんしていたようだけれど、この結婚の法的手続きは、自分の感情への気づきも多くて、いろんなシーンで素直に感嘆したのも楽しかった。結婚したい人たちにとっては、この一連の手続きは、さぞ感動的なものであり、人生のクライマックスのひとつなのだろうなと思った。私のように法的結婚を自分がすることにさほど興味が無い人にとっても(改良すべき制度としては興味がある)、悪い物ではなかった。選択肢があり、特別視されず、奇異な目で見られず、それを行うことができる。多様性の実現された世界というのは、それが当たり前になっているのだと思った。

 

その当たり前を切り開くために、文字通り、血と汗と涙を流しながら、人生を使った多く人々のことを忘れたくないし、もっと知りたいし、実現された今の「当たり前」を守っていかないといけないし、もっと言えば、当たり前の幅を広げていく努力をしていきたい。

 

社会変革を求める時は、自分ができることをすることが大事。

何か変化をもたらそうとする時、様々な人がその人のできることをすることが大事なのだ。知恵を絞り戦略を考える人、社会的地位を利用し動く人も必要。こういった歴史に名前が残る中心人物ももちろん重要。だけれど、その人たちだけでは社会は動かせない。

 

私とパートナーは、偶然、キング牧師の日あたりに結婚証明を取得した(米国も月曜に祝日を実施するので日付は年で変動する)。
政治運動や市民運動をどのように進めるかという手法を、2019年、コミュニティ・オーガナイジング・ジャパンのワークショップで学んだのだが、そのときのケーススタディのひとつが公民権運動、特にモンゴメリーのバスボイコット事件だった(ちなみに彼らのワークショップは強烈にオススメ。社会変革だけでなくても、会社組織にいる人にも、アートとかなんらかのプロジェクトを持っている人にも、サークル運営とかにもとても役立つ)。現存のものを変える時は、キング牧師という公的で社会的な立場(キリスト教牧師)にあるスポークスマンだけではなく、組合運動を組織した経験のある活動家のニクソンだけでもダメで、圧倒的な人数の無名の市民が必要だった。バスの乗車ボイコットという方法が効いたのも、モンゴメリーでのバスの利用者の75パーセントが黒人だったからで、その多くはメイドや日雇いといった不安定で限られた労働に出かけ、また家に帰るためや、買い物、子育てなど日常の足として使っていた。ただでさえ心身が辛い労働なのに、歩けば足が棒になるような距離を毎日歩いた人たち(当然、若者だけではない)。その後には自家用車を持っている裕福な黒人が乗り合いのために車を無償で供出した。当時車は特権階級の持ち物で、この人たちは安い路線バスに乗らなくても良い立場だっただろう。自分と階級の違う人びとを無視しないの、かっこ良い。この車供出は、無償でドライバーをする者がいたから成り立った。裁判闘争の矢面に立ったローザ・パークス、他にも大学勤めで、大学の印刷機をフライヤー印刷のためにこっそり使ったジョン・アン・ロビンソン。ボイコットだけでなく夜の時間の集会へ参加するなど時間を割いた者、夜親がいないことや生活が不便になったことを我慢した子どもたちもいただろう。

それぞれが持てる力や能力を、出し合って、闘い続けた結果なのだ。

 

苗字が選べることだって、誰かが闘って、獲得した。そのひとつの結果なのだ。

 

これは祈りだと思って読んでもらえればと思う。

私は、苗字を変えていないまま結婚して数日経つが、苗字についてまた考えなくなった。なんと楽なことだろう。苗字ひとつでアイデンティティが揺さぶられないのだ。めちゃくちゃ楽。変化がなく、損もしないこと自体が、既得権益なんだ、無意識に差別者になることなのだと改めて思った。自分も気づかぬままに、誰かを今も傷つけているのだろう。

夫婦別姓に反対する人、夫婦別姓に懐疑的な人、関心がない人たちに、苗字が変わることによるあの動揺を知ってほしい。苗字たったひとつが、誰かのアイデンティティを揺るがし、不快を生んでいることを知ってほしい。我慢している人がいることを知ってほしい。

他者を完全に理解することは誰にもできないが、想像することはできる。さらには、思いやることができる、そういう優しい可能性を開いていきたい。

 

私は、想像する。私とは違う人生を歩む他者のことを。

私は、考える。その他者の喜びと苦しみを分かろうとするために。

私は、立ち上がる。それが力になると知っているから。

私は、行動する。この小さな力の集積こそが社会を変えると知っているから。

私は、創造する。未来を、日々の行いによって。

私は、学ぶ。以上の円環をより大きく、深いものにするために。