ソーシャルセキュリティナンバーを取りに行った話

ソーシャルセキュリティーナンバーを取得しに行ってきました。

 

ソーシャル・セキュリティー・ナンバー

 

なんだそれ、という感じなんですが、英語のスペルで

Social Security Number

日本語訳で、「社会保障番号」。頭文字を取って、SSNと言われたりします。

人から渡米後のプロセスを聞かれたりした時に日本にいる間は、「日本でいうところのマイナンバーみたいなもの」と適当に受け答えしていた。マイナンバーカードも意図的に受け取っていない私は、関心を脇に置いたままにしておきたかった。

日本のマイナンバー制度は、個人の出納や、保険、口座、納税などを特定及び管理する目的で作られていて、新しく何か資産になるものを買うときや借りるときにも、提出を求められる。これを利用できる省庁は、厚生労働省をはじめ、暮らす上で欠かせないところばかりだ。でも、マイナンバーは運用が成立していないも同然なので、ほとんどの場合、提出が求められても「任意」であるため、避けることができる。日本ではそれでやってこれていた。

 

ソーシャルセキュリティーナンバーは、マイナンバーとは比べ物にならないくらい機能している。米国籍を持つ人、移住労働者、移住者等に、ひとりひとつ申請ベースで与えられる。ちゃんと申請して、ちゃんと持っていないと、日常生活が送りにくいのだ。バッチリ、ガッチリ生活レベルに食い込んでいる。

どんなときに必要かと言えば、例えば、仕事探しをする時に必要、行政による何らかの社会保障制度を利用する時にも必要、銀行口座を開設したりクレジットカードを持つ時にも必要、車の免許を取る時にも必要、、、

 

持っていないと、無理ゲー。アメリカの、ソーシャルセキュリティーナンバーは、日本のマイナンバーのようにはいかないのだ。

 

このような国民総背番号制度は、私にとって気持ちの良いものではない。

気は進まないけど、取得する。選択肢は無い。

 

やるしかない。

 

基本的にこういった役所関係の申請は、私とパートナーは二人で行っている。間違い無く、確実に、早く終わらせられるように。少しずつ慣れてきたが、役所関係の英語は、日本の役所文章がそうであるように、独特で、読みづらい。文書管理や申請の文化も違うため、「なんとなくこうだろうな」と思って読み進められない。「間違えたらやり直し」のプレッシャーもかかる。

私のパートナーは日本語がネイティブレベルなので、私の英語レベルよりもかなり高い。普段は、互いの言語の向上のために、日本語と英語、1日ずつ交互に話しているが、こういう間違うことができない作業をする時に英語の日であった場合、私が英語とプレッシャーに耐えきれなくなったら、日本語で全て話すか、私が日本語で話して、パートナーが英語で話す、というふうにしている。

 

助かるのは、アメリカの役所のウェブサイトは日本のそれよりちょっと分かりやすい気がすることだ。オンラインで申請したり、ダウンロードしたり、役所に直接行かず割となんでもできるからかな。非英語圏からの移民も多いからかな。

埋め込みでリンクを貼ってもツマラナイ感じになったが、ソーシャルセキュリティーナンバーに関する役所のウェブサイトはこちら。開いてもらうと分かるが、多少英語に慣れ親しんだ方なら、「分かる!」となると思う。

www.ssa.gov

 

必要書類をこのウェブサイトからダウンロードして、記入、プリントアウト、サイン。サイン文化です。印鑑は必要ない。あとは、ID、I-94と呼ばれる出国証明書、結婚証明書を持てば完璧。パートナーに「ID英語で書かれたもの2種類必要みたい」と言われ、パスポートと、国際免許証を持った。念のため普通の免許証もカバンに入れた。IDたくさん持って出かけるのは嫌だな。心配だ。

 

地下鉄を乗り継ぎ、ダウンタウンのソーシャルセキュリティー・マンハッタン・カードセンターへ。周りにある、Obento(テイクアウトの日本食弁当屋)や、ラーメン屋や、Katus bowl(カツ丼。看板の写真は卵でとじられてなかった)を良いなあと眺めながら。オフィスが入っているのは新しく綺麗な玄関のビル、セキュリティも緩かった。地下鉄の入り口のようなセキュリティー設備が開けっぱなしになっており、横に警備員はいるものの、荷物点検などもなく「ソーシャルセキュリティナンバーを取りにきた」と目的を伝えると「どうぞ」という感じだった。拍子抜け。

 

オフィスのある階で降りると、おっと、急に地味で役所じみている。玄関が綺麗だっただけに、軽くショックを受ける。ビザの面接で訪れた在日米国大使館にそこはかとなく似ていた。警備員の腰には拳銃型の何か。拳銃か、スタンガンか。なんだろね。あれ。おっかないなあ。そっちの方が物騒だわ〜。気さくな対応してくれるんだけどね。

 

あ〜役所は本当に苦手。できれば行きたくない。

犯罪履歴も無いのに、自分が何か悪いことしたような気分にさせられる。淡々とした雰囲気に、ピシッとしないといけない気がする。私の父親は一時期子どもたち全員に「公務員になれ」と再三言っていたが、今思っても無理だわ。その時も、公務員のイメージだけで絶対嫌と思っていたが。子どもの性質を全然見ずに、彼の希望を言っていただけなのだなと思う。迷惑な話だ。

 

サテ、日本の街角のケータイ屋よろしく、受付機で用件を選択する。受付番号が薄い紙に印刷されて出てくる。受付票を持って、待合に座る。

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書類、パスポート、受付票。

 

待合の黒い椅子には、様々な人たち。西洋、アジア系、アラブ系、中南米、カリブ、南アジア、中央アジア、アフリカ、東欧、、、家族連れっぽい人、仕事の合間みたいなスーツの人、いろいろだ。こうして見ると、誰がどんな国や地域や人種にルーツを持っているのかなんて、全く分からない。この「分からなさ」こそが、私に人種差別の意味の無さを直感的に分からせる。何度も。何度も。

 

受付番号が表示される電光掲示板の表記の意味が分からない。が、しばらくすると、警備員が「*番〜*番はここから並んで」と言うので、十数名が立ち上がり、受付番号順に並んだ。おお。掲示板は意味ないのか?なんだなんだ。

並んだ列を見ていると、割とサクサク進んでいる。

 

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オフィスの中は殺風景。ここに並ぶ。

 

自分が並ぶ番になると、前の人も日本国籍の日本育ちっぽい人だった。日本のパスポートが見えたのもあるけど、番号を確認して譲り合うときに、その人は軽く会釈したからだ。そして欧米文化に慣れている人でもあるのか、日本人に会った安堵からか、ちょっと微笑んだ。日本育ちで欧米の生活文化に浸かったことのある人は、目が合った時に、軽く微笑むことに慣れている気がする。

会釈の文化は、こちらに来てから改めて気づいたけど、日本っぽいものなのだ。無意識に、図書館の通路や、狭い歩道を譲り合う時などにこちらでもやるのだが、誰も会釈を返さない。それで気づいた。文化が無いんだ。差別意識があって、日本文化を至上とするような人たちは、こういった単なる文化の違いに、腹を立てたり、見下したりするのだろうか。とふと思う。

近頃は、道を譲り合っても、すれ違っても会釈しないことを観察しながら楽しんでいる。こういう動作の感覚から、ダンス作品ができることは大いにある。

 

オフィスを観察すると、壁に沿ってぐるりずらっと40程の窓口がある。機能しているのは、多分10箇所弱。ずいぶんしっかりと機能している。日本の役所窓口と比べてはいけない(特殊なことでない限り、丁寧かつ迅速に対応してくれるのが日本の役所)とは聞いていたけれど、今回は心配するまでもなかったな。

ちなみに、今回、入国した際のJFケネディ空港は、窓口が2つしか開いていなくて、そのうちひとりいなくなって1つに減って大行列。パートナーは「めっちゃアメリカ」と表現した。人件費をともかく削るんだな。テレビドラマ「裸の大将」ばりの傘込みの大きな荷物を背負って、時差ぼけ寝不足のままジリジリと待った。入国に1時間以上かかった。空港のWi-Fiがすぐに取れたのがせめてもの救いだった。

こう感じでも、責任を感じてあくせく働かない感じはとても良いと思う。

 

などと思い出しているうちに自分の番号が呼ばれ、窓口へ。ロシア、東欧を思わせる顔立ちのスタッフが対応してくれる。奥には、高級ブランドのバッグとネイルポリッシュが見えた。緊張する。英語は聞き取れたが、それが何を意味するのか分からず、まごついてしまう。ようやく分かった頃には、パートナーが助け舟を出したところだった。この10秒ほどのバッファがネイティブの中で生きていくには、乗り越えたい山なのだ。

高校生時代、ニュージーランドに留学したときは、あからさまに子どもの見た目と、ベーシックな英語を今思えばゆっくりと話していたことで、自然と銀行や旅行社やバスの運転手の人たちも、私に合わせてゆっくり喋ってくれていたんだなと思う。

今は、それが無い。く〜。やりがいあります。

 

申請書類の確認から始まり、IDの確認、結婚証明の確認、順調。そして、I-94の確認。I-94に表記されたビザの種類がパスポートと違うことが指摘された。うわあ、間違えた。今回の入国にかかるものが必要だったようだ。前回入国したときの物を持ってきてしまったようだ。万事休す、、、。また明日来なければいけないのか。私はこういう不手際にこたえてしまう性質で、途端に眉間と顔面に力が入り、不安になる。スタッフの方が、諸々照合してくれたようで、ことなきを得た。ありがたい。最後に、「3週間から4週間、SSNの発行にかかります。郵送されます」という説明を聞いた。結構かかるな。事前に番号だけでも分からないのかと聞くと、分からないとのこと。アメリカ全土で毎日この申請を受け付けている上に、ひとりひとりを国のデータに反映させるんだから、まあそりゃそうか。

 

ビルを出て、すぐに地下鉄に乗って、家へと折り返す。思いの外早く終わって安心した。

 

あとはカードを待つだけだ。

でもまあ、待つ。無事届きますように。

 

ビザの申請や結婚の手続き、これから始めるグリーンカードの取得など、何かとお金がかかるので、SSCの手続きにお金がかからなかったのはちょっとありがたい気分になった。そして、こんなことにありがたいと思ってしまうことも、本当は嫌なんだけどね〜。すでに払っている税金で賄ってほしい。再分配は国家の機能の最も重要なもののひとつですよ。

 

私は、アメリカに引っ越してきた。ビザを取って。移動した。見えない国境を超えて。飛行機で。ただそれだけのことがとても大変なのだ。

グローバリゼーションとは、ヒト・モノ・カネの移動を指す。そして、資本主義・資本主義の社会のなかで、それらが自由に行われているかと思わされているが、実はそうでは無い。大学院時代の講義で何度も理論として、事例として勉強していたことだ。この間の移民プロセスで何度も実感した。カネがなければ、申請すらもままならないのだ。カネで足切りして、世界人権宣言でも認められているヒトの移動の自由をコントロールしている。

 

できるだけ、国家とは関わらないように、関わらないように生きてきたし、生きていきたいけど、そうもいかない時もある。現状の世界では関わらざるを得ないので、引き続き諸々の申請、頑張ります〜。てれてれっとした感じで。

 

ではまた書きます〜。