米国の保険と救急車を呼ぼうとした話

2020年1月27日(月曜日)、保険に加入した。米国では保険の加入は基本的に個人の任意で、様々な会社が提供するものを自分の状況を考え、会社や保険を選んで買って、加入する。

ともかくお金がたくさんかかるのが恐ろしい。以前、友人の机の上の請求書の束を見た時、怖くなったし、他の友達からは、歯医者にちょっと行ったら500ドル(今のレートだと54,000円ほど)かかったと聞いたし、ともかく恐ろしい。命とお金がダイレクトになっている感じが、薄ら恐ろしい。気味の悪い、いやな感じがある。

この前の日くらいに、パートナーの1ヶ月分の処方薬を買いに薬局に行ったのだけれど、保険が無ければ200ドル(22,000円ほど)、パートナーが加入している保険内だと同じ物が2ドル(220円ほど)だという。怖すぎる。

 

米国で保険は大きなビジネスで、テレビ番組の合間のコマーシャルは、保険会社のものが多い。笑いあり涙ありのコマーシャルは、目を引くし、不安になっている人には本当に効果がありそうだ。ドラマさながらの親子愛を描くものなどは、批判的指向はどこへやら、「安心したい」という心をくすぐられ、「なんか良さそう」とふんわり思ってしまった。この「ふんわり」思うっていうのもミソなんだよなあ。本当は、命とお金の話なのにね〜〜。全然、ふんわりなんかじゃない。

米国にも、日本でいうところの国民健康保険的なものはあるのだが、加入できるのは、基本的に障がい者と高齢者のみ。公立病院は、予約が何週間も先ということもあるようだし、なんていうか、ガタガタだ。

 

怖い怖いとも言っていられないので、保険に入った。無保険状態の方が怖い。私が入ったのは、パートナーの所属先(職場)の運営するもので、配偶者という形式で加入した。無職状態で入れるのありがたい。もちろん保険金は払います。

 

保険を取り扱う部署をパートナーとふたりで直接たずねた。みんな、良い感じに適当に仕事している。受付の人は、自分の作業の区切りがついた頃に、「How can I help you?(今日の用件は?)」と聞いてきた。日本だったらほぼ待たされない(待たせてはいけない)シチュエーションで。日本だったら受付の人は、自分の作業の手をすぐさま止めて、目の前にいる客の対応をするだろう。ひい。

申請自体は思ったよりもとてもとても簡単で、書類2枚に主に名前などを記入し、本人確認等に伴う提出書類は、先日取得したばかりの結婚証明(取得経緯はこちらの記事に書きました)のみだった。

gonna-dance.hatenablog.com

ここで、結婚証明が効くんだよな。やっぱり制度というものは、恐ろしい。その制度の範疇に入っている時は良いし何も気にしないだろうが、意図せず外れてしまったり、それがカバーできない状況になると、途端に生きる上での不安定さが増す。

 

保険証はケータイのアプリで発効される。3営業日待てば良いようだ。手続きは簡単で、待たずにすぐ済んだ。

 

この保険事務所は、クリニックやカウンセリングルームの機能も備えており、待合室のようなところで書類を書いた。ふと見ると、無料でコンドームを配っている。棚が設置してあり自由に取れるようになってる。いろんな会社のいろんなサイズ。大事。無料の消毒液や、リップクリーム、ジェルボールが入ったレンジで温めるタイプのカイロなども配布している。食べ物のドネーション箱もあった。誰に届くのだろう。ここは、ジェンダーに配慮したカウンセリングがあったり、性暴力対応もしていて、結構頼もしい。

私もリップクリームと消毒液をもらって退室した。へへへ。ありがとう。

これで一安心。

 

保険の手続きをした翌日、ダウンタウンへ出かけた。いつもの地下鉄の駅で、少し慌てて改札を通ろうとすると、目の前の人が倒れた。周りの人が駆けつけた。私も駆けつけた。床には小さな血痕。いつもだったら、日本語だったら、ああして、こうして、現状確認をして、安全や気道を確保して、とやれるのに体が動かなかった。言葉が出なかった。

誰かが、「救急車を呼んで!」と叫んだ。

振り返ると、パートナーが電話をかけていた。

アメリカの救急車の番号って何・・・?911か・・・?

救急車を呼ぶと30万円かかるって聞いたけど、呼んで良いの?

本人には意識があって、救急車を呼ぼうというのは周りの判断だし・・・

もしかして、アメリカって救急対応やその判断方法が自分の知っている日本のものと違ったらどうしよう。

逡巡していた。

「大丈夫?」「立てる?」「私、血が出てる」「眉間が切れているんだよ」

そんなやりとりがあって、

倒れた方は周りに支えられ近くのベンチに座った。

気づけばパートナーは電話を切っていた。救急車は呼ばなかった。

いつの間にか構内にある緊急ボタンも押されていたようで、警備員が一人来ていた。駆けつけはしない。日本の真面目すぎる警備員のオジサマたちの健気な働き方を思い出した。もっと給料が良ければいいのに。

ピンチの時も、なんだか関係ないことを考えるもんだ。

何もできない自分が怖くなった。症状によっては動かさない方が良い。

みんなガンガン動かしているけど大丈夫か。

冷静に経緯と症状を見れば、脳卒中などではなく、転倒による擦過傷と少しの流血だと思われた。周りに2人と警備員が残り、私とパートナーは次に来た地下鉄に乗った。

 

こんな日常的なことで、こんなにも動転するとは思わなかった。良い機会だと思い、今、考えておきたいと思った。急に人が倒れた場合の症状別の応急処置を少し調べた。そして、パートナーに基本的なことを確認した。

米国は、救急、火事、警察どれも911で掛けられる。

電話が繋がったらまず状況説明をする。

救急車、消防車、警察出動、どの対応にするかは電話口のスタッフが判断する。

正直、救急車を呼ぶことをためらわれたが、このためらい自体、倫理的にどうなのだろう。私の倫理観の中ではアウトだ。しかし、今の私には30万円は大金で、萎縮してしまった。ためらわず救急車を呼べる日本の制度は本当にまだマシだと思った。この制度は守らないといけない。マジで。

福祉財源のために増税しますと言われて何度増税したことか。その殆どは、福祉以外の財源になっている。国民健康保険の支払額も、フリーランスになってから収入は勤めの時より減っていたのに、増えていた感覚がある。介護保険なんかの現場を見れば、どうみたって無理でしょ?!という状況で保険が降りない、働いている人もギリギリだ。そしてどんどん、せっかく作られた制度が厳しくなっていっている。かつて、福祉国家を目指し、北欧からも視察団が来ていた日本の姿は、今はもう、無い。国民健康保険だって、いつどうカットされていくか分からない。

 

地下鉄の中で、パートナーは30万円で命が助かる可能性があれば、呼べば良いと言ったし、そう思う。それはそうだ。こんなこと愚問だ。分かってる。命のが大切だ。しかし、今回のような他人が倒れた場合はどうだろうか。本人が、それを支払えるかどうか分からない。現場で救急車の判断するのは、ほとんどの場合、医療の素人だ。そもそも「判断」というのが重たすぎる。こんなことはお金に委ねる場合ではない。救急なのだから。ともかく、パパッと救急車を呼んで、何も無かったら「ああよかったね」で済ませたい。

 

少しグルグルした後、救急車は「呼ぶ」という意思決定をした。ともかく呼ぶ。命とお金、両方を突きつけられて、ちょっとまだ自分の中が頼りないけれど。

ちょっと興奮気味の頭を、冷ましながらダウンタウンへと出かけた。いつも乗らない2番線へ乗換したのは、物珍しくて気持ちが紛れた。

 

ちょっと、心にギュッとプレッシャーがかかったので、街でよく見かけるリスの写真貼っとくね。ちょっと癒されます。

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かわいいでした。