ハーレムに引っ越しました ~ジェントリフィケーションの話

新居も落ち着き、定期、不定期にやってくる鬱の波が静まったのでようやく文章を書けるモードです。今日は引っ越しの話。2020年、6ヶ月ぶり2回め。今生総合計8回、多分。引っ越しの多い人生です。

 

8月1日にNY市内で引っ越しまして、モーニングサイド・ハイツという地域から、ハーレムへとやってきました。

ハーレムに引っ越すにあたってはとても複雑な気持ちを抱いてたんですが、約1ヶ月住んで気持ちがスッキリしてきたように思います。これは複雑な気持ちがなくなったということではなくて、複雑な気持ちを心のなかで抱いていられるようになったということ。今は、本当にこの地域が好きになってきたし、住めて良かったと思う。もっといいところや面白いところ、歴史なんかを知りたいと素直に思えています。

 

初めに少しNYの賃貸事情を。

NYはアパートメントを借りるのがとても高い。スタジオと呼ばれる1Rの部屋でも、16万円ほどは覚悟しないといけない。そして16万円の部屋だって、古さは気にしないわたしでも「あ~これは手入れが行き届いてないパターンの古いやつだな」と分かるような物件で、日当たりも望めない可能性は高いし、地下鉄の駅から近かったら本当に幸運なことだと思う。駅が近く日当たりもほしければ19万円は最低見積もったほうがいい。新型コロナウイルスの影響で相場が1~3万円ほど下がったとも聞いたけれども全件ではないだろうし、もしそうだとしても東京と比べても高い。もちろん、東京の物件に比べたら広さはあるので、一概に高い安いは言えず比較の仕方によるが、東京に12年ほどいて、6万円から高くても10万円強の部屋に住んでいたので、やっぱり高いと思ってしまう。(つくろい東京ファンドの運営するシェアハウスに住んでいたという特殊なケースでおしゃれな一軒家に5万円というときもあったけど、これは本当にまれだね)。

ちなみに山のようにいる移住労働者や低賃金労働者や学生たちはどうやって部屋を借りるのかというと、ルームシェアをしたり、複数居室があるアパートメントの1部屋を又貸ししてもらったりして賃料を下げることが多い。多分だけど、非正規移民の人々もこうやって部屋を見つけるのだろうと思う。

 

わたしとパートナーもべらぼうな高額収入のわけではないので、モーニングサイド・ハイツに住み続けるのは困難だった。モーニングサイド・ハイツでも部屋探しをしたが、家賃に最低30万円近くを払わなければいけないことが分かった。とてもじゃないけれど払えないので、パートナーの職場から離れはするけれど、1時間以内で通えるブルックリンかハーレムに引っ越そうと決めて物件探しをしていた。ハーレムに相場に比べると3割ほど安い部屋を見つけ内見に訪れたとき、明らかな収入格差があるということをひと目で感じた。同時に、行政による投資も少ないのであろうことも思った。

 

今住んでいる部屋を内見したときに思ったのは、

「ここ、めっちゃ安い(相対的に)!日当たりも最高だし、駅も近いし、広いし、絶対ここがいい!」

という気持ちと同時に、

「わたしたちがこのアパートを借りてもいいのだろうか」

という迷いだった。

最初に書いた複雑な気持ちというのはこの迷いのことで、自分がジェントリフィケーションをする側になるという自覚からきている。渋谷で野宿者運動をやっていた自分にとって、ジェントリフィケーションとは悪である。最強にダサい行為、最高潮に加担したくない事象。

 

ジェントリフィケーションは、日本語で単純に「都市再開発」と翻訳されることもあるが、その翻訳では、街が新しくきれいにするよいものというイメージにとどまってしまうため、用語元来の意味が伝わらない。やはりジェントリフィケーションとカタカナで記すのがいいと思う。

さて改めて、ジェントリフィケーションとは、

「都市の中心部やそれに接近する低所得者が住む地域を、再開発や文化活動などによって、中所得・高所得者層が流入するようになり、元々いた低所得者層がそこに住めなくなるという都市の変化と人口の移動現象」

単純に、都市がきれいになることではないのだ。

 

ハーレムは1960年代まで黒人居住地域だった。つい最近だ。白人しか住めない地域を守るために黒人居住地域を都心から少し離れたところに設定したのだ。

今も近所で見かける90%以上は黒人。肌感覚だと本当はもっと高い感じ、98%。

わたしはアジア系、パートナーは白人だ。

人種問題によりセンシティブなパートナーはわたしよりも、ハーレムに住んでいいのかということを気にしていたように思う。

 

ジェントリフィケーションという一点で迷いに迷ったが、結局その物件に申し込みをし、なんとか審査が通り、物件を借りることができた。安いと言っても当初の予算よりも高かったので、友達とルームシェアすることにし、結果、家賃を予算内に収めることもできている。

 

約1ヶ月住んでこの地域に慣れてきたし、本当に好きになってきた。好きと素直に言えるようになってきた感じ。

ジェントリフィケーションの進み具合がまだゆっくりな地域だと感じている。要するにイケてるお店は本当に少なくて、ちょっとこ汚い、古い、お店や町並み。日本に比べると断然汚いから、ダメな人は本当に住めないと思う。実際、わたしとパートナーの共通の友人は「ハーレムはヤバかった!(含意:もう住めない)」と言っていた。

近所は優しい人が多くて、ちょっとしたことで話しかけられたりとか、コミュニケーションが生まれたりする。ローカルの個人商店がたくさんある。ジャマイカ料理や南部料理、フライドチキンのテイクアウト。スイカや、アイスクリームの露天商。歩道にキャンプチェアを出して1日中だべっている人たち。低音のきれいに出るスピーカーを持ち運び大音量でそこかしこで音楽をかけ集まる人々。シーシャ屋が夜中まで爆音でかけるヒップホップとR&B。これまた爆音でウィリーしまくるバイカー達(米国版暴走族らしい。観察したい)。

通りの1本向こうは高速道路とハーレム川。川を渡ればブロンクスだ。

 

ハーレムでも例えばもっと南の方は、イカした今どきの新しいカフェやレストラン、ショップが並ぶ通りもある。言ってみれば、ヒップなイカした地域や通り。これがジェントリフィケーションの結果だ。火を見るよりも明らかにイケてるお店には店員としても客としても黒人のおっちゃんやおばちゃんたちはいない。こういうところにも現在進行形のジェントリフィケーションを感じる。

わたしはローカルのイカしたコーヒー屋を見つければ嬉しいし、そういう店はコーヒーも絶対美味しい。そんなイカした店に並ぶわたしはアジア系で、パートナーは白人で。ジェントリフィケーションってそういうことなんだよなって思う。日常生活に自然に食い込むのだ。複雑な気持ち。イカしたカフェは流入してくる自営業の若者たちによって経営されている。ダウンタウンに比べて家賃が安いだろうし、先駆者によるジェントリフィケーションの結果としての「ハーレムってヒップだよね」というイメージもあるだろう。彼らもジェントリフィケーションの最先端なのだ。ジェントリフィケーションの最先端は、文化の最先端でもある。そのうち、そのヒップさが呼び水になって大資本が流入してくることを思うと、両手放しで喜べない、考えずにはいられない。

 

例えば下北沢や高円寺で、インデペンデントな小さなコーヒー屋を見つけたら通って応援したくなるお店も多い。そしてそういうコーヒー屋に通うことを人生のひとつの指針としてきた。けれど、そういう東京の文脈ではNYは見えないのだと噛みしめるように学んだ。

とはいえ、東京でも北千住や山谷地域の再開発は、こういうジェントリフィケーションのひとつであろうと思う。

 

今も、自分はハーレムをジェントリフィケーションする入植者だという自覚は捨てたくないし、捨ててはいけないと思っている。多少でも余裕ある人間の責任であると思うし、賢く優しい人になりたいという人生の目標の実践でもあると思う。思ってるだけでは苦しいので、ローカルの昔ながらのお店で買い物する回数が断然に増えた。アマゾンで買い物する回数はグンと減った。3筋向こうのヒップなコーヒー屋にはまだ行ってない。

 

今日、ゴミだらけでハエなんかも飛んじゃってる汚い歩道を歩いて、「ああ、この地域好きだなあ」と思えたので、ようやく文章にすることができた。ハーレムに来てよかった。

 

f:id:gonna_dance:20200826085131j:plain

枕元の窓からの眺め。