CVと履歴書の話 ~社会デザインの話~

CVを書いている。

CV(そのままアルファベット読み)とは、日本で言うところの履歴書で、内容的には職務経歴書も含むもの。resume(レジュメ)と呼ばれたりもする。

 

履歴書のようにひな形が売っている訳ではなく、形式を整えてワードで作る。新しい職務履歴や教育履歴から書くのが一般的。提出先に合わせて内容を整えていく。

 

手書きが良しとされる、非効率な文化も無い。

 

今回の作成は3回目くらいのはずだ。初回は、「やってみよう!」と思ったものの、「英語でどう書けばいいの?!?!」が連発で、締切が近かったこともあり、割とすぐにギブアップした。日本語で作ったものを、パートナーに英訳してもらった。

2回めは、初回のものにちょっと加筆するくらいで良かったから、ざくっと自分でやった。2,3項目足すのだけでも、かなり時間がかかった。

 

今回は、全面的に改修しまくった!

初回の苦しみとできなさが嘘のように、すらすらと書けたので嬉しかった。

英語という言語への慣れだけではなく、形式への慣れや、パートナーが整えた初回版がある、というのは大きな助けだった。

 

CVには、もちろん目的がある。仕事を探しているときや、何かのプロジェクトに申し込むときなどに、目当ての会社や組織などに提出して、審査を受けるためだ。ちなみに以下の項目を記載する必要が無い。もちろん、書きたければ書ける。

 

証明写真

性別の記載

生年月日や年齢の記載

 

見た目でも、性別でも、年齢でも差別は起きる。

純粋に、能力やマッチングだけで審査されないことが間々あると、以前、日本とイギリスの就職や労働に関する比較研究をしている研究者の方から伺った。例えば、能力が同等レベルであれば顔の良い方を採用する、など。

この話を聞いてしばらく経ったが、今は、変わっただろうか。

ここ数年、ニュースに度々現れる試験における男女差別(男子学生に予め加点するような明確に差別的なもの)もある。ニュースという形で明るみに出るようになっただけ、マシなのかもしれない。

 

しかし、日本の履歴書には依然として、

証明写真が必須で、そのために写りが良いと評判の1枚数千円する伊勢丹の写真館に撮りに行く人までいて、経済格差まで見えちゃったりする。

性別の記載欄があって、記入せねばならず、しかも「男・女」しか選択肢がなくて、気持ちが萎える。

生年月日や年齢も記載しなければならなくて、若いほうが有利であったりする。

 

履歴書の形式1枚とっても、差別構造がよく見える。

 

社会が、差別を表出するような構造や表現・デザインを持っている場合、人が持つ差別や偏見というのは、助長され、生き延びやすい。構造やデザインで見せられると、それが「当たり前」になって、疑いすら持たないからだ。しかし、構造やデザインそのものが差別を排除した形であるのならば、差別の心そのものが育ちにくいのではないだろうか。

構造やデザインには、必ず意味があり、目的がある。

このように見せたい。こうやって感じてほしい。

誰かが有利になるように。同様に、誰かが不利益を被らないように。

 

現代日本の差別の構造を考えると、平安時代、中世くらいまでゆうに遡れちゃう。それくらい根が深い。私が知らないだけで、もっと遡れるのかもしれない。そして、もともと崇められていた職業の人々が、被差別民になるというような逆転すらも起きる。

社会とは、固定化された動かせないものではないので(なにせ逆転も起きちゃうし)、せっかく民主主義の世の中に生きているので、ひとつひとつ考えて、声にしていきたい。

 

自分が持つ差別意識をアップデートして、少しずつ無くしていきたいな~。これまでもしてきたように、これからも。

 

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NY、すっかり初夏の雰囲気。