藤田庄市『カルト宗教事件の深層 〜「スピリチュアル・アビュース」の理論』

今日はさらっと書きたい。 

これを読んだ。オススメである。

カルト宗教事件の深層: 「スピリチュアル・アビュース」の論理

カルト宗教事件の深層: 「スピリチュアル・アビュース」の論理

  • 作者:藤田 庄市
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2017/05/26
  • メディア: 単行本
 

 

これの前の記事で書いたコロンビア大学の東アジア図書館で見つけたから。検索せず、なんとなくブラブラと書架の間を探検している間に見つけて魅かれた。2017年発行の割と新しい本。

 

「A」 マスコミが報道しなかったオウムの素顔 (角川文庫)

「A」 マスコミが報道しなかったオウムの素顔 (角川文庫)

 

 去年、これ(森達也著『A』)を途中まで読んでいた。アーチャリーと呼ばれる娘さんのインタビュー記事なども読んだ。

 

オウムによる地下鉄サリン事件は、小学校5年生の時だった。サリン事件の1週間前ほどに、愛知県の過疎地域の田舎から、たまたま上京して、たまたま赤坂見附駅にいた。多分、人生で2度目か3度目の東京。1泊2日だけそこにいた。テレビニュースで事件を知った両親の怯えた顔が今でも頭に残っている。日付がずれてたら私、死んでたかもしれない。

 

なんとなく、オウムのことは気になる。自分のなかで解決されていない。

なぜ、人々が魅きつけられたのか。なぜ、信じたのか。なぜ、金や財産を喜捨したのか。なぜ、今も終わっていないのか。なぜ、毒薬を作れるほど頭が良い人や医者なども信者にいたのか。

なぜ、人を殺したのか。ターゲットを定めて。もしくは定めないで。

麻原彰晃は、2018年に死刑が執行された。

なぜが頭の中に残っている。

 

オウム真理教の教祖だった麻原彰晃は、当時、とんねるずのテレビにも出ていて、子どもたちはこぞって麻原彰晃の選挙ソングを歌っていた。うちには、『ニュートン』と並んで『ムー』があった。テレビでは、ノストラダムスの大予言をはじめとしてオカルトブームだった。

オウムは危ないのでは?という意見が出始めた(と認識し始めた)ころ、坂本弁護士事件などをあまり理解していなかった私は、テレビが変な人を変だからという理由で排斥しているように見えたので、なんとなくオウムを擁護するような目線を持っていた。「ちょっとおかしい人がいても良いじゃん」的な感覚だった。からかわれてしまうクラスメイトを庇うのと同じ気持ちだった。

今もその時から続くなぜの気持ちを引きずっている。だから、『カルト宗教事件の深層 〜「スピリチュアル・アビュース」の理論』を読んだ。

 

著者の造語である「スピリチュアル・アビュース」という言葉によって非常に明確に解き明かされたのは、教祖(もしくは指導者)と信者たちの精神的、身体的、虐待関係だった。マインド・コントロールときっとなんとなく呼ばれていたものの中身と構造を具体的に示していた。家族間、恋人間など親しい間柄の人間関係によって生まれる虐待と同じ構造だと思った。

読了後、小学生の時から抱えていた「なぜ?」がだいぶすっきりした。マスコミのように煽るでもなく、週刊誌のように裏がないようなことを書くでもなく、センセーショナルな事実を冷静に分析して、解体して見せてくれる研究書は、本当にありがたい物だ。著者の方に感謝する。

事例は、オウム真理教だけではなく、旧統一教会や、ロックスターToshiも抜け出せなかった自己啓発セミナーなど、たくさん分析されている。

 

著者も、たちばな出版にスラップ裁判を仕掛けられたりしていて、本当に苦労しながら書いたとあった。ありがたいことだ。

 

中学時代には、宗教的な理由で剣道や柔道の授業をずっと見学していた友達がいた。大学時代の先輩には、母親が宗教に喜捨しまくって、家庭はぐちゃぐちゃ、先輩自身、昼となく夜となくバイトをして、母親の借金も返しながら、学費も自分で払い大学に通い続けていた。信仰があるから生きていけるんだけどねと酒を傾けながら話す友人からは、絶えず愚痴と自己否定が漏れていた。

 

みんながみんなスピリチュアル・アビュースを受けているとは思わないが、身の回りにも可能性は転がっている。

 

きっと、折に触れてまた、新興宗教やオウム関連のものは読むのだと思う。

多分、人間の弱さを知りたいから。

多分、人間の生き抜く様を知りたいから。(宗教に、教祖に縋り付いてでも生きていこうとする何か、生きようとして魑魅魍魎に巻き込まれてしまうあの感じ) 

いやあ、良い本だった。同じような疑問を持っている方に、オススメです。