NYコロナ隔離生活:スーパーへ行った話(写真多め)

新型コロナウイルス(COVID-19)の影響による自宅隔離生活が長くなってきた。

私自身の心理状況が落ち着いてきたこともあって、街が落ち着いて見える。ニューヨークは冬が寒いせいか、春の訪れが一層に嬉しく、萌える木々が美しい。もちろん、家の通りの向こうには、病院が建てた仮設の施設があり、エッセンシャル・ワークの範囲外の店は依然閉店中。車通りも少ないままだ。人通りもあるにはあるが少なく、行政命令で全員がマスクやフェイスカバーをしている。マスクの習慣がないこのニューヨークで、全員がマスクをしているのはさぞや異様な光景なのだろう。

 

思えば、4月は自宅隔離生活に慣れるのに必死だった。気づかぬうちに疲れていたように思う。緊張感の異常さ、日常を再構築する大変さなどが過ぎてみれば、よく見える。

 

記録のために、2020年4月1日におそるおそる食料品の買い出しに行った話を書いておきたい。

 

私とパートナーの日常の食べ物の買い出しは、木曜、土曜、日曜に開く近所のファーマーズマーケットと、アマゾンフレッシュというネットスーパーを利用して、ホールフーズ(オーガニック食品や製品を扱う米国の大手スーパーマーケットチェーン)で買い物をしていた。スーパーに行くのはまれなことで、Hマートというアジアの食品や日用品に特化したスーパーか、パートナーと「bourgie supermarket(ブルジョワ・スーパー)」と呼んでいるお値段高めのスーパーのみ。Hマートもうどんやそうめんの乾麺を買いたい時くらいしか行かないので、まれだった。

 

行政命令による自宅隔離生活が始まってすぐに、ネットスーパーの配達予約が取れなくなり、オンライン上の棚からは商品が無くなった。これはけっこうメンタルにきた。日常が壊れる恐怖というのは、思いの外こたえるものだ。

感染リスクを下げるために、買い物はパートナーと順番で、2周間分をまとめて、ひとりで買いに行こうと、ふたりで話し合って決めた。

外出を伴う買い物も、パートナーとの散歩がてらの日常の楽しみとして行っていたので、慣れない移民生活でもあり、そこにコロナウイルスの恐怖が加わり、ひとりで行くのは苦痛だった。

 

自宅隔離生活のなかで、「外に出たい!」と何度も思ったし、苦しかったのに、外に長時間いなければならないことになると、恐怖心が大きくなった。相反するように見える感情にも戸惑った。今思えば、並立して当然の感情だ。

まあ、そもそも感情が1つに絞られる瞬間のほうがまれなことだろう。人間はいつもぐちゃぐちゃいろんなことを同時に思って、感じている。

 

さて、久しぶりにジャケットを着込み、マスクをつけ、自分のお腹ほどの高さもある大きなカートを引きずって買い物にでかけた。

歩くとだいたい20~30分ほどかかるホールフーズへと向かった。

 

外の空気は新鮮で、動きがあって、気持ちよかった。

見上げれば、桜は満開。

日差しの良い日で、途中でダウンジャケットを脱ぐことになった。

外も悪くないと思った。

 

まだ慣れないソーシャルディスタンスに戸惑い、ストレスを感じながら、歩道を歩いた。今思えば、いつもより距離をとって道を譲ったり、譲られたりしただけなのだが、「近づいちゃったら危険!!!」という頭があるので、大層疲れた。

 

コロナの影響で、アジア系の人々への人種差別が激しくなっている。馬鹿げたことである。私はどこからどう見てもアジア系の見た目であるので、これにも恐れていた。ヘイトクライムは怖い。刺されたり殺されたり、という事件もある。そんなことされなくたって罵声だって怖い。自分の変えられない部分で差別を受けるというのは本当に恐ろしいことだ。改めて自分の人種とそれに伴う見た目を意識した。

 

息抜きに、日本のインターネットラジオを聞く。

 

締まりっぱなしの本屋や、通っていたヨガのレッスン場、散歩する犬、

 

やっとのことでスーパーについて、まずは並ぶ。入店人数を制限しているからだ。ソーシャルディスタンスはもちろん守る。黒のスーツを着たクラブのバウンサーのような警備の人が立っていて、入店人数を管理している。一人出てくると、ひとり入れる。

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入り口。ソーシャルディスタンスの看板。

 

数分待って入れた。

入り口には、消毒液と除菌シート。ありがたく使う。

 

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除菌シート。英語はwipe。

 

広くて明るいイートインスペースは閉鎖されている。

レジスタッフも少ない。

惣菜コーナーはほとんど空か、いつもより商品量を絞っている。

パンやチーズ、ワインやビールはいつも通りか。お花もある。

膨大なリストを眺めながら、野菜売り場へ。

思いの外人がいて、その多くは、デリバリー用の品物をかき集めるスタッフの人だった。こういう仕事をしているのはブラックやブラウンの人たちが多い。階級闘争を思う。

店舗は広いので、気をつければソーシャルディスタンスはわりと守れる。

 

 

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ホールフーズのデリはいつも美味しそうだった。

久しぶりに自分で野菜を選ぶのは悪くなかった。ベタベタ触らないようには気をつける。使用するビニール袋を最小限に気を使った。

肉も少し欲しかったが、家畜を倫理的に飼育しているかの基準値の見方(レベル1から5まであって、放し飼いか、ケージに入れっぱなしか、など、食品になった牛や豚が、生前どのように扱われていたか分かるもの)を忘れてしまったので、やめた。ケータイで調べるのも億劫だった。

 

パスタやビーガン冷凍食品の棚の方へと向かう。

 

子連れの女性が2組いて、子どもたちにソーシャルディスタンスを守らせるのは本当に大変そうだった。子どもは広いスーパーを、走り回りたいだろう。見知らぬ人同士で、「大変ですよね」と話していた。

 

商品量は少ないものもあったが、あるにはあった。ネットスーパー上は売り切れでも、あるんだなと分かって安心した。

パスタも缶詰も、トイレットペーパーも、小麦粉もある。

卵も各種ミルクもある。

ベーキングパウダーはなかった。

間違えてニュートリショナルイーストを買ってしまった。まだ家にいっぱいあるのに。

 

これで十分だろうか、暮らせるだろうか、と心配になったが、リストにあるものを一通りカートに入れ、レジへ向かう。いつもいつでも食品や必要なものが手に入る生活が懐かしく、ありがたい気持ちになった。

カスタマーサービスのブースには、プラスチックの板のカバーが取り付けられていた。

 

 

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カスタマーサービス

 

レジの列に並び、すぐに順番がきた。

 

ビールの年齢証明にパスポートのコピーを差し出す。

ちょっとした雑談をしながら、レジ作業が進む。米国のスーパーは、カゴごとレジカウンターに置かない。商品を読み取る前に、客がカウンターにひとつひとつ商品をかごから取り出して置く。後からカートに詰め直しやすいように、重いものや固いものから置いていった。

こんなときに働いてくれていて、本当にありがとうございます、と思った。心から礼を言って、ドキドキしながら心を込めて「Have a good one」と言った。

「Have a good day」でなくて、「good one」を使ってみたかったという気持ちも同時にあって、私という存在はこの非常時においても、相当に間抜けなものだと思った。

 

出口に向かい、警備の人にも同じように礼と挨拶を伝えた。

 

カートはとても重たくなったし、帰り道は上りの坂道もあるが、気持ちは楽になった。

 

外の写真を取りたいという気持ちの余裕が少しできた。1枚だけ、桜をとった。

 

シルバーベーカリーでパンを、Hマートで麺類を更に買って帰った。

Hマートにも入店管理のスタッフがいた。消毒液と除菌シートが置かれ、レジにはプラスチック板のカバーが取り付けられてあった。ありがたい対応。こちらは狭いのでちょっと手間取った。

 

買い物したものを冷蔵庫や棚に詰めるのは、パートナーがやってくれるというので、シャワーを浴びて休憩した。気づけばもう夕方だった。4時間も外出していたのだった。

 

この時に感じた恐怖は、3.11後に放射能におびえて暮らしたり、おびえつつも物凄い線量の地域を通り、福島県南相馬市に支援活動に行った時のことを思い出さざるを得なかった。似ている。見えない、匂いもしない物質に生命を脅かされているあの感覚。

爆発したフクイチから放出された放射能は人工物で、放射能を利用し続けてきた政治社会を許せない気持ちがある。

新型コロナウイルスは、自然の生き物で、「あり得ること」なのだと受け止めている。

これは自分のなかで大きく違う。

 

すでに1ヶ月以上がたち、ようやく振り返ることができた。記録、日記として書いておきたかった。

 

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桜とアパートメント。この非常階段がツボです。