クリスマスツリーは出しっぱなし

クリスマスはとうに終わり、あと2時間ほどで2020年の大晦日を迎えようとしている。クリスマスから今日まであっと言う間だった。

 

人生初のクリスマスツリーを買ったり飾り付けたりするエピソードについては少し前の記事(「家族の伝統、家族の距離」)で触れているのだけれど、このツリー、今もリビングルームをキラキラと彩ってくれている。生木の緑色や、家族やパートナーの物語が染み込んでいるオーナメントを見るたびに美しく目に映り、まだまだ片付ける気にならない。パートナーと相談して、枯れるまでは水をやり続けて飾っておこうということになった。

 

日本はクリスマスが終わったら、翌日にはもうお正月気分のディスプレイが一般的であるように思う。高校生のとき、初めて海外で暮らした際に、クリスマスが終わってもツリーがそのままであったことにとても驚いた。海外に暮らすと日常の小さな違いがたくさんあって、日本の常識が必ずしも普遍的ではないと気づいていったのは、ちょっと別の話かな。

 

今年、生まれて初めて自分の意思でツリーを用意してみて、クリスマスツリーをしばらく出しっぱなしにするのは、年末年始、ホリデーシーズンの感覚の違いや、お正月をそこまで重要視しない文化だからという理由だけではないと分かった。サンクスギビングの終わりから徐々に盛り上がってきたクリスマスシーズンの余韻を味わえるのがとてもいい。みんなが帰ったパーティーのあと、改めてお茶を淹れてひとりでゆっくりするような。

そして何より、クリスマスツリーは美しいのだ。生木である場合はことさらだ。大きな観葉植物が部屋にひとつ増えるのだから、目にも優しいし、ほっとした気分にもなる。3週間そこそこで捨ててしまうのももったいないし、かわいそうで気が引ける。誰が枯れてもいない切り花を捨てるだろうか。500円の小さなブーケだって、庭掃除あとの拾い物だって、上手に水あげし長持ちさせ、ドライフラワーまで作る私である。

 

一方、街角にはクリスマスツリーだった木たちが捨てられているのをちらほら見かけるようになった。家庭やコミュニティにはそれぞれのリズムや文化がある。それぞれの捨てるタイミングだったんだなあとはおもうものの、自分の木ではないのに、寂しいような、もったいないような気分になる。

 

(941文字/40分/4日目)

 

f:id:gonna_dance:20201231121301j:plain

フットボールの季節でもある。