クリスマスイブのセッションでカウンセラーに「2020年はどんな年だったか」と聞かれ、小晦日のセッションでは「2021年はどんな年にしたいか」と聞かれた。
私の答えはこうだ。
2020年は繭の年だったと思う。
今まで37年間、青虫としてえっちらおっちら生きてきて、いつも一生懸命な私だった。もがいてもがいても五里霧中の時も多かった。今年、1月14日にニューヨークに引っ越してきて、青虫時代の続きとして、沢山の外的環境が新しくなった。無意識に緊張していた日々があり、新生活に慣れぬ間に、パンデミックの震源地に生きることになった。緊張に、恐怖と不安が真綿一枚を乗せるように覆いかぶさった。振り返って分かることだけれど、第一波は大変な恐怖だった。
青虫は自分でも気づかないうちに必要な大きさになっていたようで、もぞもぞと場所を定め、またえっちらおっちら糸を吐き始めた。
自分を作り変えるのだ。
幼虫と成虫の形が全く違う昆虫を完全変態と呼ぶそうだ。別に、繭から出たあとに美しい蝶や豪奢な蛾になって羽ばたくわけではないけれど、今、繭づくりは終わりつつあって、私は繭の中にいる。
繭の中で、自分の中の養分を再度掘り起こして牛の反芻のようにもにゅもにゅと食べ、新しいものも見つけてもそもそと食べ、ああでもないこうでもない、ああだこうだと独り言を言いながら過ごしている。そしてたくさん眠っている。
2021年もいつが終わりになるか分からないが、しばらく自分で吐いて作った繭の中で過ごそうと思っている。年の区切りと繭になった時期が重なっているだけのように思ってもいる。
繭に籠もるからと言って、友人や家族との関係を絶ちたいという意図は一切なく、むしろその細い繭の糸の先につながっている人、物、場所をもう一度丁寧に手繰り寄せたいと思っている。
人生の旅はいつでも地続きだが、ここ数年は連続したクランク道を数多く乗り越えてきたように思う。凄く苦労して曲がってみる。曲がれるか分からないけどともかくやってみる。振り返るといま来た道が見えにくいほどの角度がついている。混乱もあるが、新しい道をまた一生懸命進む。
繭から出てきた自分は想像もつかないが、またそのときの姿を愛していきたいと思う。
繭になるという、資本主義社会でいえばなんの生産性のないことを共に歩んでくれたパートナーにとてもとても感謝している。愛しているよ。
2021年も、引き続き繭の年。
たくさんのことに喜べますように。
(998文字/43分/5日目)