グッバイ・ツリー・リサイクル

ようやく、断腸の思いでクリスマス・ツリーをリサイクルに出した。

寂しい!!!!!

 

今まで、幼い頃のクリスマスプレゼント以外でクリスマスが楽しみとか、思ったことがなかった。今回は、約1ヶ月に渡るホリデーシーズンそのものが楽しかった。初体験だ。それもこれも、生木のツリーとアメリカの家族のおかげだなと思う。ありがとう。人生に楽しみが増えるのはよい。

 

少しだけ、このツリーのリサイクルについて調べたことを共有したいと思う。

 

生木のツリー

生木は普通にゴミで出すこともできるが、ニューヨーク市の衛生課が担当してクリスマス・ツリーをリサイクル回収している。その最終日が1月15日だったので、念の為、14日に出してきた。ちょうどツリー屋台が立っていた道向かいがツリー回収所だった。回収されたツリーは、公園やコミュニティ・ガーデン(庭であることもあれば、野菜が育てられていることもある。両方の機能が備えられていることもある)の肥料になるという。

 

プラスチックなど人工のツリー

第一に、状態が良ければ同じく衛生課が運営しているドネーション・プロジェクトに売ることが推奨されている。それが難しければ、パーツに切り分けて普通のリサイクルとしてゴミに出す。それもできなければ、普通のゴミに出す。121センチより大きければ、大容量ゴミとして対応するので311に電話して日程を予約する。

 

自分で根覆い(敷き藁、マルチ)を作る

自分の家の庭や、街路樹の根本を保護したり、土壌を豊かにする根覆いにする方法が紹介されている。枝を小さく切り分けて樹の根本にかけたり、庭にまくだけ。残った部分は回収に出すか、「マルチフェス」へ持っていってもいい。

 

マルチフェス

1月2日と9日に公園各所で開催される木を肥料チップにするイベント。主催はNY市の公園課。当日、木を持参しても良い。チップは袋持参で持ち帰りも可能。去年は5万本以上のツリーがリサイクルされた。ボランティアも募集している。

 

以上が、リサイクル回収の方法。

木を肥料にすること自体をイベントにしちゃうのっていい。来年ニューヨークにまだいたら遊びに行きたい。

都市に住んでいるからこそ、リサイクルやゴミのことは責任を持ちたい。緑を生産していないのだし、ゴミの処理や自然の循環に携わっていないのだから。消費の部分、即ち生産と循環の中間のバトンをつなぐのは最低限のことで、大事だと思っている。

 

今年のホリデーシーズンが待ち遠しい。

 

(1000文字/50分/19日)

 

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(上)さよならマイ・ツリー!(2)山盛りの回収所

 

DSNY - The City of New York Department of Sanitation

ニューヨーク市衛生課のクリスマス・ツリー回収のサイト

 

DonateNYC

衛生課のドネーション・プロジェクトのサイト

 

Mulchfest : NYC Parks

マルチフェスのサイト

 

 

 

1年経ちました(2020年渡米の思い出)

日本時間の2020年1月14日、両親に見送られながら羽田空港を飛び立ち、同14日、私はニューヨークに降り立った。多くの人が行列する入国審査場に大荷物で並び(お気に入りの長傘まで持ってきたので大変だった)、空港のWi-Fiを拾って暇を潰した。婚約者ビザでやってきた私は、ひとり別室に呼ばれ入国審査を受けた。体格のいい警備員に囲まれて隅に座っている南米系男性がいて、「まさか私も入国できないのでは」とハラハラした。10ヶ月はかかって用意したビザ関連書類全てとパスポートを、見上げる高さのカウンターにいる入国審査官に預けたら、ものの数分で審査完了。たどり着けばあっさりしていた。拍子抜けと、安堵が一緒にきた。パスポートにザザザっと日付や番号を書かれ、ドンッとスタンプを押されゲートを抜けた。

 

羽田空港のカウンターでも、グランドスタッフ2人がかりでビザ関連書類を全てひっくり返して確認しなければならず、本当に心臓に悪かった。

初めは普通に受付したが、ある特別な事項を確認しなければならず、婚約者ビザは珍しいようで、初めはひとりで対応してくれていたスタッフさんがもうひとり先輩と思しき人に応援を頼んだ。グランドスタッフの確認事項マニュアルを初めて見たし、スタッフさんもマニュアルを何度も確認していた。初見の人が分厚いビザ書類を確認することは時間がかかりすぎるだろうと判断し、確認事項を私が書類群から検索して提示した。実質3人がかりだった。うっすら汗ばんだ。確認が終わった時、3人に連帯感があり、笑いあったほどだった。「ご結婚おめでとうございます」と送り出されたのは、思い起こせば嬉しい。当時はもう少し複雑な気持ちだった。

そもそもビザの手続き注意事項には、出入国する空港で書類が必要とは書いてなかった。厚さ2センチほどのファイル2つ分の書類は重たく、スーツケースに詰めたいという気持ちを抑え、用心深く手荷物にしていたのが功を奏した。

 

出国、入国の日だけでもブログがいくつか書けるほど沢山の思い出がある。

 

ゲートを抜け、荷物を取り外に出るとパートナーがいて、思い出しても泣けてしまうほど嬉しかった。2019年の夏、私の婚約者ビザが降りていない状態でパートナーは日本から米国に戻らなければならなかった。トランプ政権下、ビザが下りるか気が気でない状態で東京に暮らした数ヶ月は辛い気持ちにならないように必死で過ごしていた。ルームメイト、友達、高円寺のお店とマスターたちにお客さんたち、ジムと岩盤浴、瞑想、いろんなことに助けてもらってようやく過ごした。

 

パートナーはウーバーを頼んだ。めちゃくちゃでかくてかっこいい車が来て、ブラックのドライバーさんは親切にも荷物の積み込みを手伝ってくれた。必死になっても聞き取れない英語を適宜聞き流しながら、2度目のニューヨークを実感した。右手にヤンキー・スタジアムを眺めながら、郊外を進む。今住んでいるハーレムを通り抜け、モーニングサイド・ハイツに到着した。

 

荷物を置いて、遅いランチを食べに出た。タイ料理。

 

渡米前後の自分が知りたくて、日記帳を見返してみたが1月21日までは何も書かれていなかった。心の中の記録は日記帳にあって、楽しい記憶は写真に残っている。

時差ボケでクラクラしながら、その日の夜を過ごしたんだろう。写真を見返すと、出国前に友人たちがくれたお菓子が広げられていて、それも少し食べたのかもしれない。荷物が多い中、甘党のパートナーと一緒に食べたいと思って、割れないように気をつけてスーツケースに詰めたものだ。うさぎ型でおなじみのサパ子さんクッキー、ぽれやぁれのお持ち帰りのクッキー(お茶しに行ったらゆみさんがその場でくれた)、澤田先生にもらった冨貴寄(帰ったら絶対買う)などなど。そのお菓子たちは大事に少しずつ食べました。ありがとう。

 

引き続き写真によると翌日は、時差ボケ対策も兼ねて、結婚祝いをくれた日本の親類や友人に向けたお祝い返しを買いに行っている。カードを奮発してパピルスで買って、場違いすぎるザ・プラザ・ホテルの地下でクスミティーを買った。パートナーはフローズン・ヨーグルトを見つけて嬉しそうに食べてた。良かったなあと思う。

ニューヨークの物価に慣れていない私は、せっかく見かけたデビッド・チャンのレストラン「モモフク」の値段にビビって踵を返してしまった。またいつか行きたい。(デビッド・チャンの「アグリー・デリシャス」という番組が好き。おすすめ)あと、あの時見つけた死者の日ドクロ柄のワンピースは今でも買っておけば良かったなあと思っている。

もちろんまだマスク無しで出かけることができた。

思い起こせば、きりがない思い出が出てくる出てくる。

 

私の人生は、毎年毎年大冒険だが、2020年も大冒険の年だった。

去年の今日の私と、今日の私を見ると、隔世の感さえある。

特に精神面での成長の多い年だった。

 

思いがけないことが起きるから、人生は楽しい。過ぎてしまったから言えるけれど、自死も含め、どこかのタイミングで死ななくて本当に良かった。そして、このように折に触れて、友達や家族やパートナーにありがとうと伝えたくなることそのものに、人生の喜びを感じる。

いやあ、幸せなこってす。

どうもありがとう。これからもよろしくおねがいします。愛してるよ。

 

(2150文字/1時間40分/18日目)

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家計見直し作戦

コロナはちょっと別枠として、近頃パートナーと私の生活は落ち着いている。落ち着いてきてようやくできるようになるのが、節約や貯金。去年の後半は引っ越しや在宅仕事の環境整備など大きな出費が続いたし、来年度はまた引っ越しがあることが予想できている。犬をシェルターから引き取りたいし、コロナが落ち着いたら旅行や観劇にも行きたい。今ちょっと我慢している漫画やコスメ用品も買えるようになりたい。

というわけで今の家計を整理して、息が詰まらない程度、毎日を楽しめる程度で節約していくことになった。

 

家計の整理には、mintというアプリを使っている。銀行やクレジットカード、保険など収支に関わる全てのアカウントを集約でき、お金の出入り経緯や残高、支出がひと目で分かりとても便利。おすすめします。

基本的に必要なものしか買っていないことが分かったので、食費の使い方を変えていくことにした。

昨年の11月から12月中旬は私の調子が悪かったのもあり、テイクアウトが負担になっていること、アマゾンでの生鮮食品のデリバリーも、比較的高額。

買い出しは週に1度まとめて、通りの八百屋屋台で。20ドル持っていけば1週間分余裕で買える。25ドルあればフルーツも買えるし、スーパーなどより新鮮な上に、ローカルのコミュニティを支援できる。調味料や冷凍食品などの他の食材は、定期的にハーレム川を渡った安価なスーパーで買う。今は体調がいいのでテイクアウトの回数は減らし、自炊をもっとする。毎日食べたり、使うようなものはアマゾン定期便を使い、時折見返し修正していく。クランベリージュースとおやつは、近所のデリのおじさんに顔を見に行くためにも、そこで買う。

家計の見直しをして2週間経つが、無駄も無く、健康的に食べることができている。

 

昨日は、川を渡ったスーパーでの買い出しをした。レシートが30センチになりそうなほど買ったのだけれど、118ドルしかせず、嬉しくなった。レジでは、118ドルを「180ドル」に聞き間違えて(日本育ちならきっと誰もが引っかかる発音問題)ちょっとビビって7ドルのビーフジャーキーを返してしまったが、レシートを見て、ジャーキー買っても良かったと思った。落ち着いて、レジの表示画面を見ていれば良かった。

 

一昨日から、日本でとても話題になっている『人新世の「資本論」』(斎藤幸平・著)を読んでいるので、ますます自分の(生産・消費)行動を考えるようになっていると思う。

 

(999文字/30分/17日目)

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このズラッと感。左下のバーに登らないと商品が取れない(身長155センチ)。
人新世の「資本論」 (集英社新書)

人新世の「資本論」 (集英社新書)

 

もう6刷ですってよ。嬉しいことだ。 

 

mint.intuit.com

家計アプリのミントはこちら。

モーニングサイド・ハイツを訪ねる(2日目)

1月9日は、モーニングサイド・ハイツ方面へパートナーと歩いて向かった。この日は友人ふたりと夕食をする待ち合わせ。ハーレムからハミルトンハイツ方面へ上がり、そこからモーニングサイド・ハイツへと下っていく。ハミルトンハイツの丘の上からモーニングサイド・ハイツ方面を真っ直ぐ見下ろすアムステルダム・アベニューの眺めが好きだ。

 

行きがてら、最近の仕事や読んでいる本の話をした。私は、読了したばかりの『横丁の戦後史 -東京五輪で消えゆく路地裏の記憶』(フリート横田・著)について概要を説明し、話し合った。私は幼い頃から周縁化されてきた人々に関心とエンパシーがあり、私は学生時代、貧困問題への関心から野宿者運動について活動し研究していた。野宿者の問題を見つめる時、街や経済の歴史、(五輪に伴う)ジェントリフィケーションの問題とは切り離せない。今もその関心は続いている。日韓の戦後食文化や商店街を研究している友人のことも思い出した。さらに、在米移民となった今は、移住者がどのように生きたかも新鮮な興味だ。在日コリアンや中国人が成してきた横丁や、最近の変化について本から得た知識をパートナーに共有しているうちにレストランに到着した。

 

レストランはピスティッチという名前で、NY州のコロナ対策規定を守ったアウトドアダイニングが設置されている。去年の誕生日をここでお祝いした私にとってちょっと特別なレストランだ。

久々に会う友人は元気そうで嬉しかった。この日も気温はマイナス1度。お互いに、アウトドアダイニング対策でモコモコに着込み、マスクに帽子という出で立ちだった。

菜食主義の話、友人同士の出会いの話、日本語の話、江戸川乱歩の話、NHKおすすめ番組の話、能と歌舞伎の話、ころころと変わる話題が楽しい。

私は今日のオススメの魚介のスープスパゲティと、アップルサイダーのカクテルで大満足。ニューヨークのデザートは大きいので軽く頼むと後悔する。パートナーが頼んだココナツケーキを一口食べた。

 

次また会おうねと言い合い別れた。

2時間のアウトドアダイニング、ちょうど良すぎた。

帰り道、友人二人がいかに優しいかという話になった。あまりに友人たちが聞き上手だったので、自分たちが喋りすぎたかなとちょっと反省した。もっとふたりにおしゃべりしてほしかった。次は私たちから誘おうと思います。

 

食事と散歩は貴重な対話を生む。

 

(982文字/30分/16日目)

 

www.pisticcinyc.com

レストランはここ。おすすめ。

 

 

 本はこちら。

 

 

モーニングサイド・ハイツを訪ねる(1日目)

モーニングサイド・ハイツに2日連続でパートナーと一緒に行ってきた。

モーニングサイド・ハイツとは、セントラルパークの北西方向、ニューヨークに来て、最初に住んでいた地域の呼称。パートナーの勤める大学もあり、友人たちもいることから、今でも時折行く。

 

初日。

格的に寒くなってから行くのは初めて。地下鉄を降り、目的の駅の1駅手前で降りてしまったことに気づいたが、地下鉄の階段を上がると馴染みのあるスーパーやバーが目に飛び込んできて、懐かしい気持ちになった。私は去年の寒い時期をここで過ごしたんだった。もう1年経つんだ。

パンデミック前は毎日のように通った大学のキャンパスへ向かう。途中、地下鉄の吹出口で暖を取る野宿者が排除されずにそこにいるのを見て、安心した。心配だけど、暖かい定位置にいられるのは重要なことだと思う。

事務室でパートナーは博士課程修了証書を受け取った。「記念に写真でも撮ろうか?」と提案したが、立派な額やホルダーがつくでもない修了証書を持ったパートナーは、いらないよという答えだった。コロナが無かったら、大学カラーのマントを来て、房のついた帽子を被って、家族を招いて写真を沢山撮っただろう。

文房具屋や本屋に寄り買い物を楽しんだ後、リバーサイドパークへと向かった。私もパートナーも犬が好きなので、ドッグパークで犬を愛でる。お金を持っている人が割と多いこの地域は、ゴールデンリトリバーやコーギーなどの高額な犬種がいる。分かりやすい。そんなことはどうでもよく、犬はいつでも誰でもとてつもなくかわいい。

 

ハドソン川の対岸、ニュージャージーの夜景がとてもきれいだった。

住んでいた頃でも、あまり見る機会が無かった夜景は、特別で、とてもきれいだった。

 

この1年を穏やかに、平和に共に暮らしてきたパートナーに感謝と愛を伝えた。

ニューヨークに来て、本当に良かったと思う。

 

(明日は2日目の話をしようかな)

 

(791文字/40分/15日目)

※元気がなくて昨日の更新を断念しました。連続ではなくなったけど、日数カウントは続けていこうかな。

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リバーサイドパーク。ピクニックもしたなあ。

 

 

 

暴力と気遣い(と愛)

1月6日、ルームメイトに緊急事態が発生し、ニューヨークを離れることになった(ここでは便宜上Aさんと呼ぶ)。翌日7日にAさんが出発するまで家を離れずサポートした。

 

落ち着かない状態になっているAさんを助けたいと思うのだが、大変なことが起きると頭の中が日本語になってしまい、英語を発することができない。必死にできることはないだろうかと考える。過去、こういうことがあったらどうしただろうか。何かしなくては、何かしなくちゃ…。何もできない自分を役立たずだと自分で責め始める。

そのうちに「何でもいいから役割をこなすことでコミュニティから承認され、自分が落ち着きたい」という欲求が心の奥にあることを発見した。これは実家族の日常や、法事や葬式などの家族行事が行われるなかで、父の機嫌を損ねないように獲得してきた思考だと気づいた。父の暴力と脅威を未然に防ぎ、それから逃れるために役割を探し続けて、幼い私は実家や斎場をうろついていたのだ。これは父を気遣うようでいて自分を守るのが第一目的の思考なので、真に相手のことを考えてはいない。

思考の癖というのは自分では認識しにくいので修正しにくく、脅威に晒されていなくても同じように考えてしまう。

私は、「今は暴力に晒されているわけではないから、自分を守らなくてもいい。だから何もしなくてもいい」と自分のなかで確認した。何を恐れ、焦っていたかを認知できた後は、簡単だった。あとは、愛に任せて行為するだけ。声がけもパートナーに任せてもいいし、Aさんの言葉を聞くことが優先であると分かった。

 

話し終え、Aさんが病院や友人、家族などに忙しく電話をし始めた。ひっきりなしにコールが続く。朝から飲まず食わずのAさんに私は水を渡した。謝意をAさんから受け取り、自分の新しい気づきと気持ちに自信がついた。

 

一段落したAさんからは要望が出てくるようになった。移動先とニューヨークの隔離期間や移動制限の確認、飛行機の予約、Airbnbの手配、昼食とフェイスガードやマスクの購入、夕食の支度などした。

 

困っている人も疲弊するが、その隣りにいる人も疲れる。Aさんの古くからの友人であるパートナーが一番にAさんに寄り添う。そのパートナーを私が気遣う。こうやって、誰かだけがしんどくならないように少しずつ、支え合った。

 

翌朝、一睡もできていないであろうAさんはウーバーに乗って空港に向かった。

 

(983文字/60分/14日目)

 

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この空の奥が空港。