先生の舞台を観るということ。

先日、舞台を観に愛知まで行って来ました。

新幹線こだま号快適ですね。急いでいないなら、東海道新幹線は断然こだま派です。ゆっくりなのが旅情。富士山が見える方の席も良いですが、小田原、熱海、浜名湖の海側を堪能するのも好きです。

 

さて、今回観て来た舞台は、

団野美由紀・石川雅実 舞踊公演 vol.04「夜の森」

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言ってみましたら、自分のダンスの先生方の公演です。前のブログでダンスを始めた経緯について触れましたが、この主催の団野美由紀さん、石川雅実さんというお二人が、私に踊りの基礎をくれた先生方です。この舞台の振り付けはお茶の水女子大の猪崎弥生副学長が振り付けや構成、演出をしています。猪崎先生は、私の先生方を育てた先生。

 

東京からわざわざ愛知まで見に行ったのには、人生って不思議だなあと思うことが起きたから。

今、私は春頃に公演を打とうと、舞踏ダンサーの村中祐ちゃんと創作と稽古をしているのですが、祐季ちゃんのお師匠さんが主宰される、とりふね舞踏舎の舞台を見に行来ました。祐季さんの踊りのことや、彼女の人生のことをもっと知りたかったから。集団で踊る舞踏を見たことが無かったのも理由のひとつ。

 

サテ、このとりふね舞踏舎の主宰者でありダンサーの三上加代さんが、猪崎先生のご学友ということは、うっすら祐季ちゃんから聞いていたのですが、なんと猪崎先生も同じ日程の公演を見に来ていらして、十何年振りだろう、くらいにお見かけして。

しかも、このとりふね舞踏舎の公演「SAI」が素晴らしく。大泣き。号泣。人間存在の素晴らしさ、巡る命のしぶとさを受け取ったのでした。

猪崎先生にもご挨拶をしたところ、「次の愛知での舞台が最後の公演。これからは若い人を応援する、批評とか審査などの仕事をもっとしたいと思っていて」とおっしゃって。

舞台の帰りがけに祐季さんとLINEで話し、「これは愛知まで行って見よう」と決意したのでした。

私のルーツを知る番だわ。

という訳で、愛知へ行ったのでした。

 

公演は知立市というトヨタ関連企業の大きな会社や工場がある町のホール。

舞台は、客席の「センターセンター」と呼ばれるちょうどど真ん中あたりから見るのが良いと教えられたのですが、私は断然最前列センター派。演者の空気感や存在感を体当たりで見ている感じが最高です。

 

自分の高校の頃の踊れなさや、辛かったことや、挫折感、、、いろんなことを思い出して緊張しつつ、劇場に入りました。

劇場に入った瞬間に伝わる、今日の舞台は凄いよ、と伝えてくる空気。これはつまんない舞台の時は、伝わってこない。

緞帳が降りていない舞台に関心。黒いリノリウム、森の入り口のような舞台美術を眺め、舞台から流れてくるスモークの匂いと湿度を懐かしく思い、劇場内に溢れるガヤを聞きつつ、パンフレットを眺め、開演10分前にもう一度お手洗いに行き、見るとでもなくダンサーの名前を目で追い、ジャケットを脱ぎ膝にかけ、涙腺崩壊した時に備えてハンカチをバッグから出す、パンフレットに挟まれたチラシも眺め、ふむふむと。

開演前の劇場内でのマイルールを繰り広げ、水を飲み、またマイルールを展開。

開演前のアナウンス。客電が落ちる。異世界に来たような楽しみ。

 

ああ、私がかじった世界はこういう場所だったのだなと思いました。

素晴らしく体の動くコロスダンサーたち。

人体の癖を削ぎ落とした同一の動き。

 

団野美由紀さんの演じた魔女は、自分の中の魔女とはほど遠く、新鮮だった。どろりとしたものが無く、もしくは薄く、まっすぐで、純真な少女のようにも見える存在感。

 

石川先生は、ダンサーとして完璧と称されてもいいんじゃないだろうか、という四肢。きっと誰もが憧れる。

隙のない律動的な動きの中で、時折、指先が訓練された肢体を離れるかのように物語る。その瞬間「そういうのが見たいんだよ!」と心踊る。

 

私のお気に入りは、ダンサーの伊藤麻子さん。彼女はコロスよりもソロで活かされる。麻子さんは、踊り方がめっちゃ面白くて、モダンダンスと呼ばれるジャンルの中では「癖が強い」と言われてしまうかもしれない。が、心の奥の勢いの塊、スピード感のような物をガンガンに身体に乗せて発してくる。強烈。大好き。あはは!目が離せないよ!

 

公演が綺麗すぎて、途中で何度も「あーーーー!!!!」ってなった。

モダンダンスという世界はこうだったなあ。

演出内のセリフで、「世界はいたってシンプルなものです」

と舞台上から言われて、チクショ〜〜〜!そうなんだけどなあ!!!

そうだよ!

でも私の世界はそんなに洗練されていないんだよなあ〜〜〜〜!!!

だから、やっぱり苦しいし、怖いことだってあるんだよ〜!

 

あ〜、面白かった!

泣かなかったけれど、もうあと1時間くらい見ていたかったな。みんなのギリギリ限界を見たかったなあ。モダンダンスの舞台では見せない種類のものなので諦める。

 

舞台が終わって自分の頭の中を観察。

自分が表現したいやり方とは、違うんだなあ、と改めて思った。

そしてそれで良いんだよなあと思った。

教えられたものは大きく、心身に溶け込んでいる。重要な基礎だ。

今は、自分には自分のやり方があって、学び、生き、踊ってきた心の中のものがあって。

それをどうやって、誰と、もしくは一人で、取り出すか。

 

ジャンルや、その中の基準にとらわれる感覚。

技術の有無にとらわれる感覚。

踊れない、私はこの舞台にはいらないんだ、それも全て踊れない私が悪いんだ、努力不足だ、でももう限界だ、と思いまくった高校時代の心中。

先生に褒められたい、認められたい、でも、自分にはその要素はないんだ、という子が親に持つようなあの感覚。

 

様々な思いが浮かび上がった。

再び、卒業式をしたような気分でした。

スッキリ。

 

自分のルーツを知ったり、見たりするのが苦しくて、踊りを一度やめてから、最近まで、踊りの舞台を見ることができなかった。それが、自分の先生方の踊りを見ることができた。踊りを離れてから17年かあ。

長かったな。

 

心の議事録。