松本大洋「ピンポン」を大人にオススメする話。

 最近、ネットフリックス(Netflix)を見ている。

プラネットアースなどのドキュメンタリーから海外ドラマ、海外の子ども向け番組、「深夜食堂」などの日本のドラマまで。

 

Netflixで最近全話を見たのは、「ピンポン」だ。言わずと知れた(であろう)松本大洋原作の卓球漫画の傑作だ。

 

 

 

これが良かった。

作画やマットで全体に少し淡いトーンの色や、時折使用される彩度の高いラケットラバーの表面や登場人物の心理描写。登場人物のスマイルが動く時にさりげなく鳴る歯車のような音。バスケットボールや卓球など、スピード感と共に楽しむスポーツがアニメーションになると、そのスピード感の表現されなさにがっかりしてきた記憶がある。それを超える描かれ方。

 

ラスト3話は速攻で視直そうと思うくらい。詰まってる。

 

誰かのために生きること

これが正しいんだと遠からぬ他者によって示される道の上を歩くこと

自分の立ち位置を見つめ、認め、自分を変えてゆくこと

自分のために生きること

卓球を楽しむこと

卓球が楽しいんだっていうこと

卓球が大好きだっていうこと

 

 

思えば、私は踊りが純粋に楽しいと思えたことはあっただろうか。

踊りの記憶は、いつだって恐怖の記憶と結びついている。

えこひいき、いじめなんかもあるチームで育った。

正しさは一定の価値観が示され、それ以外は敗北であった。

 

一方で、身体を自由に動かしてみようとする快楽。

心や頭の中から自然と湧き上がってくる作品についての

構成や、振り付けや、衣装の類のアイデア

心がワクワクと騒ぎ出す。形にしてみたいと思う。

 

そんなチームを卒業して15年も経つのに、

虐待を受けて育った子どもたちが、大人になって、暴力を振るったり自分を尊重してくれなかったりするパートナーを選んでしまうのに似ている。

自分にとっての幸せを知らないから、幸せを感知する感覚が小さいから、

苦しみを与える何かに、自分の中の虐げられてきた子どもが順応しやすい。

 

今でも、床と鏡が整ったスタジオに入ると泣けてきてしまうことがある。

苦しかったし、幻聴なんかもあったけど、

床と鏡が嬉しい。踊れる環境に身を置けるだけで、こみ上げてくるものがある。

誰にも邪魔されず、誰とも比較せず、ウォーミングアップがわりに踊るとお腹の中から笑えてくる。

こんなにも動くのか、こんなふうにも踊れるのか

音楽は私の体をこんなふうに動かすのか

環境はこんなにも私に影響するのか

こんな感覚を味わうこと自体が嬉しい

ただ、すぐその心は曇っていってしまうことが多い。

 

 

ピンポンの登場人物たちは、深く説明しようのない卓球への愛がある。その愛に、生きるものとして、自分の願望とか関係のなくどうしようもできない才能と、他者の愛が絡んで、時間が織りなされてゆく。

ある者は、才能に奢り逃げてることすらも認めようとしなかった。

ある者は、家族と敷かれたレールを抱え続け応え続ける道だけを見ていた。

ある者は、ヒーローを待っていた。

ある者は、才能に見限りをつけ、愛する卓球から離れた。

素直に生きているように見えるけれど、その道は平坦じゃない人たち。

 

高校生が故の視界の狭さも合間って、それぞれがそれぞれの方法でがむしゃらに、もしくは極端に生きている。選んでいる。

 

この作品を見て、

私ももっと、私自身に、楽しい踊りを与えてあげようと思った。

 

「愛してるぜ、ペコ」

「いい子だ」

と主人公に何度も繰り返すのは、(原作では)唯一の女性の主要登場人物のオババだ。

 

「愛してるぜ、菜美」

「いい子だ」

私も私に繰り返していきたい。他者にも繰り返したい。

 

愛への反射神経を高めていきたいっす。

 

と、いうわけで、ピンポンおすすめです。