歌舞伎を習ってます。

この夏から、日本の伝統芸能を少しずつだけれど学んでいる。

私の中でのもぞもぞとした興味が、ぼんやりぼんやりとだが、私を動かしている。

歌舞伎の講座に通っているのです。夏には、シアターXの歌舞伎ワークショップの成果発表会にも出演した。1年ほど前、歌舞伎座の最前列で歌舞伎を観てから、歌舞伎大好きなのだ。

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忠臣蔵」道行・落人のおかるの衣装

私は、アナキズムにとてつもない憧れがあり、それとどうしても対立するようなナショナリスティックなものや、伝統的なもの、古典と言われるものは、イマイチ触手が動かなかった。それも、ナショナリストたちや国家が、文化や芸術をナショナリズムのために使うから、嫌気がさすだけで、芸事自体はやっぱり素晴らしいものだ。

 

この数年メキシコ、ペルー、モロッコ、様々な国のアーティストたちに出会うたび、「自分の育った土地にある技術を知りたい」「私は何も知らなくていいのかな」と感じていた。

 

学び始めは、練習着である浴衣も一人で着られなかったし、もちろん浴衣をたたむこともできない。そしてそれを恥ずかしいと思った。先生の講義を聞くたび、知らないことばかりで、「なぜ私はこんな基本的っぽいことまで知らないんだろう」とまた恥ずかしいと思った。

公教育含め習う機会がなかったのだから、できないし、知らないのが当たり前なのに、知らないことを恥ずかしいと感じた。普段、恐縮なんてしないのに、なぜか恐縮したりもした。

日本文化らしきものの中で、コミュニケーションの方法が日本人っぽくなっていったりして、なんなんだろうコレは?!と思ったりした。

 

そんな自分の中の「日本的なるもの」を観察しつつ、稽古をとても楽しんでいる。

歌舞伎とその中に含まれる殺陣や日本舞踊(そのものではないが)などの技術は、とても面白い。筋が通っていて、美しい。裏切らない。三百年の時を経て、様式に昇華された様々の決まりごとは、とても気持ち良いものだ。

例えばなんで指を広げるのか、閉じるのか、そこにはそうでなければならない理由がある。それ以外にありえないと思わせる知恵と工夫が込められているのだ。

クラス毎に感心するばかりです。

 

女でも習えるなんてありがたいな〜なんてちょっと卑屈かな〜。

もともと女が始めたことなのにね。

出雲の阿国さんっていうプロデューサー兼女優。コレくらいは歴史の授業で習うね。

歴史の授業で「そんな女の人いたんだ!かっこいい!」と思った気持ちを思い出しました。

 

早ければ来年秋頃に迫った米国移住。大義名分さておいて、東京で学べることをたくさん吸収したいと思ってます。