ジェローム・ベル『ガラ』 いびつでうつくしい人間とその存在への賛歌

2018年1月21日(日)、写真家の矢郷桃さんに誘われて、さいたま芸術劇場へジェローム・ベル『Gala-ガラ』を観てきました!!!それがね、もう超絶良くて、今まで大きな劇場で観た作品では、最も号泣した作品となりました。あたしも出たかった〜〜〜!でも見る側であって良かった〜!

 

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っと、ちなみに桃さんのサイトはこちら。自然や食べ物の静かで穏やかな写真が素敵です。心の湖の底にとーーーんとくる感じ。ししおどしの音のように響く写真。私の宣材写真を撮ってくださっている方でもあります。

 

やってきました!彩の国さいたま芸術劇場!!

大きな劇場、有名な演目ときて、ダンスや身体表現のプロだけではなくて、障がいを持つ方や、高齢者、子どもも出演するということで、「欺瞞的な作品だったら嫌だなあ〜」とちょっぴり思いつつ、桃さんが誘ってくれたのだから変なことはないだろうワクワク!!と出かけました。

 

大きな劇場に来ると、「ここに立ちたいなあ」と思うとともに、速攻で恐怖が心に舞い込む私。むかーしむかしの恐ろしいダンス生活の記憶が蘇るのです。苦笑。もうそんなことは捨てたいと思いますね。「私には無理だ」という思いが湧き上がるのも。

にしても、たくさん光が差し込むロビーを持つ素敵な劇場!

外には、最も好きなモダンダンサーでもある平山素子さんの次の公演の大きなポスター。スティーブ・ライヒやるのかあ。私、届かないなあ〜。とふわっと心に諦めの思いが湧く。劇場は大好き、でも自分はもう立てないかもしれない…。

 

2階席1列目!舞台全体を見るには最高の席!桃さんありがとう!嬉しい!!

席に着き、携帯の電源を落とし、リュックやコートやマフラーを快適に配置し、心穏やかに緞帳が上がるのを待つ。好きな瞬間だけれど、昔のダンスの厳しい思い出や、早く次の作品を作らなければ…という変な呪いも同時に存在して、ちょっとめんどくさい静かな時間。

静かに幕があがり、舞台が始まる。幕袖にいれば聞けるウィンチの音を想像する。

 

出た!人類万人ダンサー!

踊れる人、踊れない人、プロフェッショナルのダンサー、バレエダンサー、バトントワリスト(と言うのかな?)、子ども、ドラァグクイーン、おじいちゃん、おばあちゃん、おばちゃん、おじさん、太った人、カリカリの女性、筋肉が素晴らしく引き締まった人、車椅子の人、ダウン症の人、モンゴルの民族衣装を着た人、バレエじゃないけど何かしらの踊りをやっているんだろうなという人、サッカー好きに見える少年、

みんなみーーんな、キラッキラの衣装に身を包んでいる、80年代や90年代のスポーツウェアやエアロビウェアを彷彿とさせる代物。

 

舞台は、様々な劇場を写した写真のスライドショーで始まる。

舞台上に設置された看板がめくられ、「バレエ・Ballet」と書かれている。

ダンサーひとりひとりが、下手から出てきて、ピルエット(その場で回転するターン)を披露し、上手へ出て行く。次は、グランジュテ(大ジャンプ、足を大きく広げて飛ぶ)、おじぎ。バレエダンサーは完璧。他の人はファニー。愛らしい。バレエ以外の踊りをやっている人は、その競技の癖はありつつも綺麗。

お次は、「マイケル・ジャクソン Michel Jackson」。完璧だったバレエダンサーはどこへ行った?!概念が覆る。今まで目立たなかった人が、超かっこ良くなる。でもみんなムーンウォークはできていない。けれど、きめっきめのおじいちゃんが超かっこ良く見えた。

 

チラチラと客席が拍手し始める。はじめは、子どもや障がいがある人が登場した時だった。「子どもや障害者だから拍手するとかそういうのなのかなあ?どうかなあ?」と訝しがる私。だんだんと拍手されるダンサーの種類が広がっていき、私も舞台が進むにつれ、演目の魅力に巻き込まれ、「お!」「ナイス!」「すてき!」と思うところは素直に拍手するようになっていた。

 

途中から涙が止まらなくなった。車椅子の矢崎さんがBOOMの「風になりたい」で全員をリードし踊ったパートは大号泣。

 

天国じゃなくても

楽園じゃなくても

あなたに会えた幸せ 感じて

風になりたい

 

矢崎さんオリジナルの振り付けに、全員がドタバタとうしろで真似ている。想像していたよりも可動域が広く、伸びやかな矢崎さんの上半身と表現に、この世の美しくも完璧ではない楽園を見た思いがして、涙が止まらなくなった。誰もが、その人そのままで素晴らしく、美しく、誰かを傷つけぬよう気をつけながら、パーソナルエリアを保ちつつも、尊重しあって存在している。踊っている。生きている。

私はこういう世界で生きていきたいと強く思った。私の夢見ている世界がここにあるじゃないか。いがみ合わず、適度に協力して、誰もが自分で、とてもいびつで、とても美しい。

 

矢崎さんの四肢と一体となった車椅子が右へ左へとターンをし、そういう歩き方もあるんだなと思った。車椅子でリノリウムの床を踏むのは、どんな感触なのだろう。キュッキュとタイヤで擦れる音がするのかしら。

 

舞台のまとめ

プロのバレエダンサーが、あるシーンでは全く目立たない、普通の人になる。

今まで普通だと思っていた人が、突然輝き出す。全員をリードする。

群舞になったときに、誰もがひとりひとりとして輝き出す。そこには上手い下手、プロアマ、年齢、性別、ジェンダー、何もかも関係ない。

いつのシーンも、だれもが「ひとり」「個人」であって、それぞれがそうであるから、舞台が、世界が、キラキラと輝いて見える。

 

今までも、「自分が自分であるから人生と世界は素晴らしいものになる」と思ってきたけれど、この感情だけではとてもとても弱く、頼りなく感じることも多かった。

この舞台を見たら、「自分が自分であって、他人が他人であって、それぞれの人生を歩んでいるから、そして、自分の外の世界がかけがえのない他者によって構築されているから、だからこそ、人生と世界は素晴らしい」と感じるようになった。それはとても強い概念で、生きる私を大いに勇気づけた。涙が止まらなかった。帰った後も思い出しては涙をし、今もこれを書きながら涙が溢れてくる。

 

これからどう生きるのか

人生は、岐路と選択と決断でできていると思う。超絶当たり前すぎて書くのも恥ずかしい。毎朝起きて、コーヒーかお茶か。今日履くのはスニーカーかヒールか。移動は自転車か電車か。そんな細かいことひとつひとつからも人生はできていっている。

今、大きな流れや遠景で人生を見た時、私は人生の岐路に立っていると感じている。それは、「決めなければ!」というような責務めいたものではなく、

どんな世界で、どうやって生きていきたいか

全体の風景を選びとっていくような岐路。

この舞台を見て、「ああ、私はこういう世界が見ていきたいんだ」と強く確信した。

 

そして、「作品を作らなければならない」「うまくならなければならない」という誰にも言われていないのに勝手に背負っていたものからも解放された。踊りと身体と人生、それは私のものでしかないのだから。

「私には無理だ」というダンスへの恐怖心も、拭い去ってくれたように思います。

 

この半年、今までの人生では思いもよらないような多様な人と出会ってきた。関係を変えてきた。騙したり、嘘をつく人にも出会って怖い思いもしたし、噂話ばかりする「世間」という実態のないおばけみたいなものをを体現したような人たちにも出会った。

今まで出会ったことのない種類の人々とその関係性。

自分で商売をしたいならば、そういう人とも付き合わなければやっていけない、と言う人もいる。近景を見ればそうかもしれない。その人にとっては、その選択が正しいし、必要なのかもしれない。それだけのこと。

 

でも、遠く遠くを眺めた時に、やっぱりそういう事柄や、関係性は、私の景色に入ってこない。

ジェローム・ベル『ガラ』はそんな美しい景色を見せてくれた作品だった。

もうちょっと公演が長かったら良かったな。出会ったら、ぜひ見てみてください。

 

モダンダンスのグラハムテクニックの創始者、マーサ・グラハムは言いました。

 

この世にたったひとりしかいないあなたなのだから、

自信を持って、自分で踏み出してゆきなさい。

 

と。

この言葉は、その行為が、多くの人にとって、とても困難で、恐ろしいことであるからこそ、人の心に響くのだと思う。

『ガラ』の世界のように、自立し、自律しようと試み、他者もそのようにある、そして共存していく、そんな愛に溢れる世界ならば、それもなんてことはないことなのだ。踊りだってそうだ。舞台を見る前に溢れていた、踊りへの恐怖はふわりと私の体を離れ、脇に落ちている。これから少しずつ離れていけるだろう。

この世にたったひとりしかいないわたしに、なればなるほど。

 

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作品の良さ、あんま伝わらないな〜〜、このトレイラー笑!