世界の隅っこから。ハルコロ、ゴールデンカムイ。知識と愛について。

ついに、数年ぶりに念願のハルコロへ行きました。個人比で、本当に「ついに」感溢れ、ワクワク。

ハルコロは新大久保駅から徒歩3分ほどのアイヌ料理のお店。初めて行ったのは、アンティファでパンクの友人の紹介でした。その時も、「アイヌ料理なんて珍しいし、カッコいい!」と思ったのですが、社会の教科書で習うくらいの知識と、反差別運動などしていた知識から出た感想でした。

 

近年、アイヌ民謡を自分の踊りに使うこともあり、漫画・アニメ「ゴールデンカムイ」のファンたる私は、アイヌ知識を少々ばかり身につけ、ハルコロを再訪したのでした。ついに、憧れの「オハウ」(具沢山のスープ)を食べ、ユク(鹿肉)も頂き、ビールはサッポロ黒星と完璧な夜を過ごしたのでした。

「ヒンナヒンナ」(アイヌの言葉で、食べ物とその神に感謝する意味)だと思いました。幸せ。

メニューに書かれたアイヌ語の料理名や材料名が分かり、壁を埋め尽くすポスターや刺繍の模様や木の飾りが、得た知識によって、世界が意味を持って迫ってくる体験をしました。それらが彼らの文化の一部であって、意味や理由を持ってお店に置かれていることが認識できた。具体的には分からないものの方が多いけれど、前より、アレもコレもアイヌ文化に由来した何かであることに気づけます。胸がいっぱいになってワクワクして、嬉しくてたまらなかった。

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シンプルなオハウ。

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ゴールデンカムイ作者、野田サトル先生のサイン(他にもある)

 

一緒に行った友人やパートナーも、そのルーツは、ウガンダ、インド、シンガポール、米国など。私は日本。話題は、目の前の料理と行ったり来たりしながら、日本の戦時中の公文書アーカイブス(まじでなんでも見れると聞いて驚き!)や、アイヌの音楽や、オススメのアニメ(「ポプテピピック」でひと笑い。大好き。「ガイコツ書店員本田さん」をオススメしました。大好き。)、南極を通るとイギリスとオーストラリアが近いこと、政治など。

 

ハルコロでご飯食べて、自分の感覚に知識の喜びと、愛が入り混じっているなと気づいた。アイヌのこと知ってたけど、愛は無かった。左翼らしいシンパシーはあった。知るうちに、「面白い」が生まれ、「もっと知りたい」、から、「好き」が芽生え、美味しい食事で追体験するに至り、これは愛だなあと思った。他者とその文化への愛と、知らぬものへの愛と、知識や知る・学ぶということへの愛。

 

私は、知ることが好き。

知識は世界を美しくする。

知識が世界を広げ、意味をもたらし、愛を芽生えさせる。

また、愛は知をもたらし、知は、また世界へと繋げてくれる。

知識。叡智。愛。

この世界には異なるものしかない。

そしていつでも、全ては並立するだけだ。

美しい混沌。

 

本当に、差別や人種差別って終わってるなと思った。

自分は差別しません、と自分の聖人性を顕示したいわけじゃない。私の中には「差別したくないし、同時にされたくない」尊厳と意思があるだけだ。私だって、自分でも気づいていない偏見や差別意識がある。これは、恥ずかしいけど、絶対ある。自分の中で、解決していないものもある。

相手の文化を知ることは面白いし、受け入れがたいほどに違うこともある。そういう時はとても面倒臭かったりする。コンフリクトが生まれることがある。「キー!なんなの?!」となることもある(野宿者運動をハードコアにしてた時によくなってた笑)。でも「そういうのもある」となる。その人の背景、社会のこと、歴史とその流れが見えるようになる。きっと、相手だって自分に対してそう思ってたりするのだろう。「分からん。なんだこいつ」って。

その「分からん」と「だから相手を否定する」の間がないのは本当にしんどい。自分の「分からない」と「だからありえない」が直結してるのは短絡的だと思う。

世界を認知する中で、相手を否定することは、やっぱり違うと思うんだ。相手を否定することで、自分の優位性を示そうとしたりすることと繋がっていて、とても捻れている。

 

どこだって世界の中心だし、どこだって世界の隅っこなんだ。

 

知らないことだらけの世界で、

愛でもって、自分の世界が広がること。

 

めっちゃ楽しかったから、帰りは、はしゃいで飛び跳ねて走って帰った。

犬のようだった。

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