コロナによる日常生活の変化(認識という頓服薬の話)

みなさん、こんにちは。NYからです。

今日はちょっと、メンタル落ち着かない人がいたら、読んでほしいなと思うような内容です。落ち着かない内容はなんでもいいです。怒り、悲しみ、不安。

 

現在、引き続き、ここNYは世界で一番コロナの罹患者数が多い地域のようです。

 

感染者数130,689名 死者数 4,758名
出典:在ニューヨーク日本国総領事館メールニュースレター2020年4月6日

 

 

日常というのは、暴力にさらされていなければ本当に尊いもので、「この状況が続く」という安心が無意識下にあるからこそ、落ち着いて過ごせるものだと思う。

「明日死ぬ」と思っていたら、それはもはや日常ではない。妙にハイテンションで、ガンガン頭が動き、バリバリ行動できるような日々が続くかもしれないが、それも脳内エナジードリンクみたいなもので、長くは続かないし、効果が切れれば、待っているのは落ち込んだ時間だろう。

 

私は、3月13日(金)に明確に日常を失ったと思う。3月1日(日)にNY州内で初めてのコロナウイルス罹患者が見つかったというクオモ州知事の発表から、じわり、じわりと生活リズムを変化をさせていたのだが、縮小させていく日常の行動範囲に、抜け道を探していたように思う。大丈夫だと思い込みたい、まさに正常性バイアスだった。

抜け道など無いのだと、コミュニティ内にウイルスはどこにでも既にいて、罹患する可能性は誰でも持っていると、発症していないだけなのだときちんと頭で分かった。心も同様に理解し、正しく怯えた。結果、今まで通りの外出はしなくなった。

 

そして、日常を失った。

 

2020年1月14日(火)に渡米し、NY、マンハッタンで暮らすことになった。そこから、少しずつ築いてきた新しい暮らしのスタイルとリズムを失うことになった。

 

だけれど、日常を壊して、行動を変えてきて、ひとまず良かったと、約1ヶ月経った今は思う。

 

医療的な情報も、公衆衛生的な情報も、どんどん変わる。

NYや米国内の情報だけでなくて、日本の情報も合わせて入れる。

日本政府の行動はその対応の酷さに怒りが湧いてくる。

友人たちが居酒屋に集まっているストーリーズを上げていてハラハラする。

 

日常を暮らしていると、どうしても近視眼的な視点しか持てなくなる。

情報を過剰摂取しているときは特にそうだ。

目の前の命が心配なのだから、そうなる。

心配がゆえに情報が欲しい。安心したいからもっと知りたい。

できることがあるならば、知りたい、知らなくちゃ。

手洗いやソーシャルディスタンスなど、まさに健康を守る情報だけでなくて、

行政の収入補償、クラウドファンディング、その他相互扶助につながりそうなこと、

政府を動かすための署名運動、、、

きりがない。

 

感情と情報で溢れた日常が見えない濁流となり、自分をいつの間にか取り囲む。

その濁流で、常に踏ん張っている状態になる。

足を広げて踏みしめて、腰を落として、力を入れて。

それを24時間している。

濁流は、突然顎あたりの水位になったり、腰くらいになったり、

鉄砲水のようになったり、ほんの一瞬引いたりする。

溺れたり、流されたり、浮上したりを繰り返す。

気が抜けない。

自分の意思で、情報の濁流を作っているにも関わらず、

それが激しく自分の心身を痛めつけるものだと気づいていない。

 

それはあっという間に起こるので、濁流になったことにすら気付けない。

 

厭だなあ、不安だなあと思っているにも関わらず、

自分自身が苦しく、しんどいのにも気づけない。

 

私は、今日、これを再認識して、心が落ち着いた。

 

今は、変化と過剰なストレスのなかで生きている

 

たったこれだけ。

なんで安定して毎日を過ごせないんだろう、と自分を責めていた時間が終わりを告げた。

日本の友人たちとの交流も大いに助けてくれた。

唯一まあまあ安心な外出である朝の散歩を厭だなあと思うほどには元気がない。

 

フロントラインは毎日変化していいる。

私は、文字通り生き抜くために、それに必死で対応しようとしている。

 

そりゃあ、心が浮き沈みしたり、眠れなかったり、疲れていたりしても仕方ないよね。

 

自分の暮らしのリズムが壊れてしまったなかで、もはや1ヶ月暮らしてきているのだ。

 

そりゃあ、大変だよね。

 

このパンデミックのなかを、生きているだけで、助け合えたり、心配し合えたりする心持ちをキープしているだけで、本当にすごいと思う。

 

少し、私の公的状況の変化の経緯を記しておく。

 

 

2020年3月1日、NY州内で最初の感染者が発見されたと発表があった。すぐに、感染者の家族が通っていた学校を含めた4つの学校が閉鎖になり、本人とその家族は隔離された。

たった一人だった。

行政は、足りないながらに手を打っていた。

病床数の確保、医療費の確保、自宅隔離要請、、、

毎日毎日、具体的な数字と対策が発表され続けた。

それでも、3月8日(日)には、感染者は100名を超えて、142名。

 

3月13日(金)に明確な自宅隔離生活を始めてから3週間強が経った。なんとなーーーく外出を避けるのではなく、ふらりと角のデリまで行くような外出でさえ控えている。

 

3月12日(木)にはNY州の要請によって、500人以上のイベントが一切開かれなくなった。予定していたものは全てキャンセルされ、博物館や動物園などの施設も閉鎖された。その時は、「行きたいけど、怖いな」と戸惑っていたので、予約していたものが全てキャンセルされてほっとした。生まれて初めてのカーネギーホールにワクワクしていた。

残念だけれど、生きていれば行ける。

 

3月19日(金)予約していたNY市民IDカードの受付を自主的にスキップ。窓口は空いているようだが、行けなかった。IDがまたしばらく無い。

不便だけれど、生きていてこそのIDだ。

 

3月20日~22日(土~日)に予定してたボストンへの国内旅行もとりやめになった。

残念だけれど、生きていれば行ける。

 

3月21日(土)、米国内の友人から電話があり、彼女の母親が来米を諦めたという。彼女と彼女の家族たちに会いに行く予定だった。またひとつ、国内旅行のあてが消えた。

残念だけれど、生きていれば会える。

 

3月25日(木)予約していた医者がキャンセルになる。

残念だけれど、肩の痛みでは死んだりしない。

 

4月3日(金)、ビザの身分変更のための、指紋押捺が2度めのキャンセル。もう移民局はずいぶんと開いていない。このリニューアルには、旅行許可と労働許可も含まれているので、また働けない期間が延びることになった。

残念だけど、ビザの更新は追ってなんとかするしかない。

 

たったこれだけの変化、たったこれだけ。

それでも参ってしまうんだ。

参ってる暇の無い人も多いと思う。

酷なことだ。

 

私は、愛する人を愛するように、私を愛してあげたいと思います。

大事にしてあげようと思います。

私は私を責めるように、愛する人を責めません。

私は私を罰するように、愛する人を罰しません。

私は私を貶めるように、愛する人を貶めません。

だから、

わたしは私を責めず、罰せず、貶めません。

愛する人を愛するように、私を愛してあげたいと思います。

 

自分で「疲れているな」と自覚できなくなるほどに疲れている可能性がある。

自分で「追い込まれてるな」と自覚できなくなるほどに追い込まれている可能性がある。

日常と崖っぷちはきれいにつながってるので、そこに立ってるって気づけない可能性がある。

 

疲れているなと認識できたら、

追い込まれているなと認識できたら、

今日は情報を手放して、

水を飲んで眠ろうと思います。

 

自分に効いた「認識」という頓服薬をちょっとシェアしたかった、それだけの話しでした。

 

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柳の新芽と春の陽。これももう3月中頃の写真。今はどうなっているかなあ。