私のニューヨーク・リアリティ

ニューヨークに来てからの時間が積み重なっている。

自分が住んでいない地域、即ちミッドタウンやイーストヴィレッジ、ソーホー、ブルックリンやブロンクスの方へは、数えるほどしか行っていない。クイーンズもほぼ未踏の地だ。自分の居住エリアから離れた回数を数えれば、きっと両手両足の指で足りてしまう。行ってみたい場所、店、コミュニティ、美術館や博物館などは渡米当初に思っていたものと変化がない。初めに行きたいなと思っていた場所にまだ存分に行っていないから発想が広がっていない気がする。あと、芋づる式が好きに場所やコミュニティを訪ねるのが好きなので、ずっと芋づるの端っこを持っている感じだ。

 

この1年、東京やその他日本の友人からニューヨークについて聞かれるたび、言われのない引け目を感じていた。体験や経験、交流を大切に思っていて、そこから得られる感覚や知識を大切だと思っているから、外出の少なさから「経験してない私は何もしらない」という思いになっていた。

そんなこと思わなくたっていいのに、パンデミック以前に思い描いていたよりも経験量を得られなかったため、私はニューヨークを全然知らない引きこもり野郎だと自分に情けないレッテルを無意識に貼っていた。

 

とはいえ納得していたわけではない。腑に落ちない思いを抱え続けていたら、ふと自分の経験をフラットに見る視点に出会えた。

私のニューヨークに関するリアリティは、出歩くことのできなかった、即ち、お互いの命を守ることを優先させ続けた実践である。私は私のニューヨークを知っているし、知らないニューヨークもたくさんあるというのが事実に近い認識だと思う。何も知らないというのは誤認だ。

 

東京に住んでいたときのような気持ちだ。

私の好きな東京がある。知っていることと、数え切れない知らないこと。訪れたことのない場所も当然ある。何度も飽きずに足繁く通っている場所もある。数度しか行ったことがなくても愛着がある場所もある。

 

ニューヨークも好きな場所がある。知っていることもあるし、知らないことも数え切れないほどある。街角の名もなき風景まで愛するのが私の街との付き合い方だ。ニューヨークが自分のいる場所のひとつになってきている。これから足繁く通うような場所やコミュニティが作れるといいなと将来のことを思い描いている。元気な私はその日が早く訪れるように、引き続き外出控えめの暮らしを続けようと思う。

 

(997文字/30分/26日目)

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ジェリードーナツ食べました。