魔女とQueerと巫女とダンスと資本主義(謎の6000文字越え)

どうもみなさんこんばんは。ダンサーのナミです。

先日、新宿は歌舞伎町のキャバクラ街で行われたイベント

 

クイアセオリー&トーク&フード「資本主義と魔女狩り

 

に行ってきました。それがなんのなんのめちゃくちゃ面白かった。

なので、その講義ノートをまとめたものと、雑感を書いていきたい。

 

魔女!といえば、D.I.Y.ガール!!そして、資本主義?!?!

このイベントにこころ惹かれたのは、やはりタイトル!「資本主義」と「魔女」狩りにどんな関連があるんだろうと思った。高円寺で行っているストレッチクラスの名称は「資本主義のなかの身体とダンス・パフォーマンス」だし、魔女は私のキーワードのひとつなのだ(突然!)。2008年頃、友人の一人に「魔女はねえ〜、アナーキーなんですよ。D.I.Y.なんですよ〜」と教えてもらったことがある。魔女といえば、ディズニーよろしく三角帽子を被って黒いローブを着て毒を作って売って、というイメージだったのだが、友人いはく、

「薬が作れて、山奥で自活できて、全部D.I.Y.で生きていたんだよ。だから、現代でも、傷や病気のセルフケアができるのは魔女的だよね」

ということだった!なるほど〜〜。なにそれ、カッコイイ。以来、強い魔女憧れが私の中である。カッコイイ。

 

資本主義の裏町、歌舞伎町に赴く!どーん。

このイベントは、会場が高級クラブ。いわゆる女の子がきれいなドレスを着て接待をしてくれるお店。ズゲエ!会場からしてトンチが効いてるぜ。私も借りてみたい。

イベントの前半は、東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程に所属の半田ゆりさんによる講義。短時間でまとめられていてとても分かりやすい。そして半田さんの声が良い。今風に言うたら、イケボです。

参考文献は、

『キャリバンと魔女〜資本主義に抗する女性の身体』

シルヴィア・フェデリーチ著 小田原琳・後藤あゆみ訳/以文社

ira.tokyo

 

 アマゾンもあるけど、上のIRAで買うといいよ。

なぜって、人生が面白くなるから。

キャリバンと魔女

キャリバンと魔女

 

 

『NO FUTURE : Queer Theory and the Death Drive』

リー・エーデルマン著

No Future: Queer Theory and the Death Drive (Series Q)

No Future: Queer Theory and the Death Drive (Series Q)

 

 

 

講義の内容(1)同性愛という概念の起こり

19世紀、資本主義の発展とともに、同性愛の概念が成立してきた(!)

 

う〜ん。のっけから知らないことばかりで面白い!資本主義の発生、発展と同性愛という概念の起こりを一緒に考えたことがなかったのでとても興味深い。

 

カール・マルクスによって作られた資本主義(という概念)は、今まで家や家族に労働を集約して成立させてきた人間の生活を、家の外へ出て労働力や個人の時間を切り売りすることへと変形させた。

それ以前も、江戸時代には同性愛があっただろう、性におおらかだったということがよく言われるが、それは今で言う同性愛という概念とは別物で、江戸時代には江戸時代の性の捉え方があった。(それが現代の私たちから見たら「同性愛」として捉えられるということ)

資本主義は、家族と家の中での性別分業を成立させた一方で、家から離れる時間を人間に与え、それが家族以外の人々との出会いを招き、新たなコミュニティの成立を促した。

人間の生死が家族に依存していた資本主義以前、性は、生殖に関わるもののみ(認められていたの)であった。性や生殖も全て家に帰属していた。子どもは必要な労働力であり、家の所有物であった。

資本主義の発達により、家から離れることができるようになったことで、生殖以外の性が発達した。ここから、同性愛の概念や、生殖に従事しない性がオープンになっていく。

 

16世紀、17世紀、ヨーロッパで魔女狩りが多く行われた。では、魔女とは誰なのか?

魔女とは、逸脱した性の女性。すなわち、生殖に従事しない性を持つ女性。家に帰属しない性の持ち主。すなわち、避妊する女性、性に活発な女性、家に帰属しない性を享受する女性(女性同士の性愛含む)、階級差のあるセックス、老人と若者のセックス、ダンス。などなど。

若くしては、娼婦であり、おいては魔女。というわけだ。

例えば、助産師も魔女として殺された。当時は女の仕事であったが、魔女狩り後は助産も男の仕事になっている。なぜ助産師は殺されたのか。男たちの見えない空間で、女たちしか知らない伝統と知識で、堕胎もでき、生命を生み落とすこともできる、それを男性の手に取り戻したかった。

 

産む性も殺す性も、なにもかもそれを行う女自身から取り上げるってどういうこっちゃ〜〜。こわ〜。

 

講義内容(2)QUEERという概念について

QUEER(クイア)とは、3つの概念によって構成されている。

(1)再領有

もともと、QUEERは、同性愛者などを侮蔑する言葉として使われてきた。日本語訳は「変態」。ちっともポップな感じの無い「変態」。ガチのやつです。それを、呼ばれてきた側自らが、「QUEERですけど何か?」「あななたちとは、違う。違うことを認められないなんて、なぁ〜んて了見のお狭いこと!」って感じで、かなり戦闘的なポーズで、自分たちを示す言葉として再獲得した。

 

(2)同化拒否

QUEERという言葉が生まれる前までの、同性愛者の権利獲得運動は、「私たちは、ストレートの人たちとなんら変わりません。普通の人です。だから差別しないでください」と既存の社会に「同化」していくことによって運動を展開した。

それに対して、QUEERは、同化を拒否し、「異なる者」であること、魔女のように「異端」であることを選んだ。なんで同化しなきゃなんねんだ?コノヤロウ!的な気概。(スキ。)

 

(3)境界線をゆさぶる

QUEERは、「性規範を問い直す政治的態度、または政治的連帯」であって、LGBTのような外側から与えられた性的なカテゴリではない。よって、カテゴリや様々に張られた社会の境界線や常識を揺さぶり続けることができる。

 

クイア理論は、本当にいろいろあって、例えば、「クイアの時間概念」とか、めっちゃ抽象的で幅が広い。

 

講義内容(3)QUEERと、連帯と、可能性

もう一度、生殖と性と資本主義と家族の話に戻る。

資本主義は、家族の中に集約していた労働力を家族の外に離散させて、家族や人間の生活を保つ、新しい生活様式をもたらした。万人が家族に依存しなければ生きられない時代は終わった。家族に従事しなくてもよくなったのだ。同時に、家族は空洞化し、その機能を失ったが、同時に、資本主義によって新しい意味を付与された。

「家族は生きがい」「家族は安らぎ」

といったような。ここでは、この新しい意味を援用するために子どもが利用される。今まで労働力、小さな人間に過ぎなかった子どもが、家の所有物のイメージを残しつつ、親の私有財産、守るべき存在、として認識を作り変えられる。

子どもには、未来への希望、守るべき弱い存在、子は鎹といった良いイメージが、問答無用で与えられた。しかしそれは、同時に、正しい性のあり方、すなわち、異性愛規範のみの肯定を補強する存在として扱われる。結婚した男女のカップルであって、子どもがいる家族。それ以外の性のあり方を再び否定するのだ。

例えば、クリントン元大統領などは、「良き父」のイメージを多用した。それのみが、真っ当な人間のあり方であるという論調と共に。

シングルマザー(子どもはいても父親、男性の不在)、結婚したが子どもがいないカップル、同性愛カップル、非婚のカップル…などなどはこの範疇には無く、存在そのものを否定される性のあり方と認識される。

ここで、もう一度、3つめのQUEERの概念を思い出してほしい。

 

講義内容(3)QUEERと、連帯と、可能性

もう一度、生殖と性と資本主義と家族の話に戻る。

資本主義は、家族の中に集約していた労働力を家族の外に離散させて、家族や人間の生活を保つ、新しい生活様式をもたらした。万人が家族に依存しなければ生きられない時代は終わった。家族に従事しなくてもよくなったのだ。同時に、家族は空洞化し、その機能を失ったが、同時に、資本主義によって新しい意味を付与された。

「家族は生きがい」「家族は安らぎ」

といったような。ここでは、この新しい意味を援用するために子どもが利用される。今まで労働力、小さな人間に過ぎなかった子どもが、親の私有財産、守るべき存在、として認識を作り変えられる。

子どもには、未来への希望、守るべき弱い存在、子は鎹といった良いイメージが、問答無用で与えられる。しかしそれは、同時に、正しい性のあり方、すなわち、異性愛規範のみの肯定を補強する存在として扱われる。結婚した男女のカップルであって、子どもがいる家族。それ以外の性のあり方を再び否定するのだ。

例えば、クリントン元大統領などは、「良き父」のイメージを多用した。

シングルマザー(子どもはいても父親、男性の不在)、結婚したが子どもがいないカップル、同性愛カップル、非婚のカップル…などなどはこの範疇には無く、存在そのものを否定される性のあり方と認識される。

ここで、もう一度、3つめのQUEERの概念を思い出してほしい。

「性規範を問い直す政治的態度、または政治的連帯」

QUEERという概念は、シングルマザー、同性カップル、単身者、全ての者の性の境界線を緩やかに、きっと時に激しく、越え、連帯し、新たな価値観や存在を、この社会に示していける可能性を持っていることが分かる。何も、セクシャルマイノリティだけではないのだ。

 

講義内容(4)異端、魔女、QUEER、歌舞伎町、水商売、周縁化、アート

このイベントが行われたのは、新宿歌舞伎町の高級クラブ。ここには主催者の意図が非常によく表れていた。本イベントのオーガナイザーであり作家である小林世治さんが語るには、

カラス研究家によれば、歌舞伎町はカラスが好む森のような町。ビルや路地が入り組んでいて、森のように隠れることができる。そこから獲物を狙うことができる。獲物(餌)もある。カラスにとって住み良い所。

魔女って森の奥で暮らしているイメージありませんか?カラスのイメージも。

女性の性は無償で提供されるのが当然の世界で、歌舞伎町では、水商売の女性たちが、無償ものを有償に変えて(錬金術みたい)、生きている。この行為が、非常に魔女的。

また、キャバクラは教会のようだと世治さんは言う。

祈るように金を使う男性たち、自分の中の資本主義の神話(お金が偉い。女は買う物。ヘテロセクシズムなど彼らの信じ込みたいこと)を現実化し、継続するためにお金を使っているように見える。

そして、水商売や性風俗で働く者は、基本的に異端者扱い。

女は、聖女としても、魔女としても、どのみち「性」の真ん中にはいない。異端者扱いされる。聖女マリアも特別視され周縁に置かれた。魔女は今まで語ってきた通り。

 

会場もクラブと逆手にとっていて、皮肉というかクリティカルな視点が混じっていてとてもアーティだなあ〜。かっこいい。イベント会場がもはやインスタレーション的。

 

さらにアートの話へと発展。

女性は、見られる性として、自らの視線を奪われている。女性作家が何か作品を公開する時、「女性が作ったもの」という認識が見る側に伴う。作家自らも女性性を"活用”した作品になる傾向にある。個展などで作品を買っていく人も、女性作家の作品だからという理由で買っていく人が発生する。芸術専門雑誌で女性作家特集が組まれると、作品の写真より、作家本人の写真が大きいことがままある。これは、何をか言わんや。

 

イベント後日。うたうたいで漫画家のこいけひろむくんと話した。対バンの女性シンガーで、「なんでこの人?」って人にもオジサンファンが必ずつく。同じ構造だよなあ。

 

雑感。魔女。巫女。ダンサー。

魔女の概念を構成するひとつが、ダンスだったんだけれども。これちょっと補足します。

日本を眺めた時に、魔女的な存在として、巫女があげられます。巫女はその役割のひとつとして、ダンサーという側面がある。神に捧げる踊りを踊る。もしくは、神と人間をつなぐ踊りを踊る。巫女は神の使い。この世と神をつなぐ者。

基本的なイメージは、神社境内で神のために働く姿であろうが、中世日本には、

村々を巡り、祝詞をあげ、奉納の舞を踊り、お札などを売り金を稼ぎ、夜は宴で歓待され、その後は村の男たちに春をひさぐ。巫女とのセックスは神と人間をつなぐ儀式のように捉えられていた。

家族に帰属しない性を持つ存在。

この巫女は、家なし。いわばホームレスであり、河原者、芸人へと繋がっていく。

村を巡る巫女になる女になったのは、村でルーチンワークとなる畑仕事や、針仕事や、織物や子守などの働きができない、美しい娘であった。

口減しの側面もあったのだろうなあ〜。

 

さあて、と。この会で何を思ったかって。

世の中には、可能性しかないのだなあと。

QUEERって、本当に最先端、エッジィな在り方、生き様だと思う。私もそうだと自認してる。

時代のエッジになっている人間としては、風当たりとか嘲笑とか差別とかあるけれど、QUEERで魔女とか、QUEERで巫女とか、最高じゃないですか。

QUEERで魔女で巫女でダンサーってことはだよ、

資本主義によって逸脱者として規定されてしまった誰とでも連帯できる可能性があり、D.I.Y.で暮らせる可能性があり、資本主義からちょっぴりでも脱出して暮らせる可能性があり、この世とあの世をつなぐことができ、人びとを楽しませる、

ってことだよ。

最高ですね。

初めて魔女の話を聞いた2008年から10年たって2018年。今も、やっぱり魔女になりたいなあと思った。今はむしろ、巫女(兼ダンサー)のがしっくりくる。

世界を巡る巫女業いいなあ。世界中をストレッチとか教えて回って生きたら良いのかあ。ぽぽぽぽぽんやり。

 

わたくし的参考文献。

私の参考文献としては、こんな感じかな。

鶴見俊輔著『アメノウズメ伝』 

アメノウズメさんがねえ、いい感じに自由なのよ。

アメノウズメ伝―神話からのびてくる道 (平凡社ライブラリー)

アメノウズメ伝―神話からのびてくる道 (平凡社ライブラリー)

 

 

網野善彦著『中世の非人と遊女』 

中世の非人と遊女 (講談社学術文庫)

中世の非人と遊女 (講談社学術文庫)

 

 

網野善彦著『増補 無縁・公界・楽』

 

あとこの辺は読みたい(読んでない)。

『遊女と天皇

遊女と天皇(新装版)

遊女と天皇(新装版)

 

 

 あ!こんなのあるんだ(読みたい)。

網野善彦著『河原にできた中世の町〜へんれきする人びとの集まるところ』