生きていく仕組みのこと。
ゴールデンウィークの雰囲気に釣られて、夏用のワンピースを何回か着ました。いいお天気。終わった途端のこの東京の雨は、多くの人のお休みを天気が見守ってくれているようですね。
私のゴールデンウィークは、ナイスな地味さで快適でした。
ちょっとだけ愛知に帰ったりもしてきました。
えっと、自分がダンスをはじめたきっかけは、高校で所属した部活がダンス部だったということなのですが、その創部30周年記念パーティーに出席するための帰省でした。そこで大いに踊りと自らに想いを馳せることになりました。
この「ダンス部」というのが、入部にオーディションがあり、半数の生徒が不合格になるというところから始まり、ほぼ年中無休の練習。作品創作。コンクール出場。どんな作品に出演するのも、作品を作るのも全てオーディション。めちゃくちゃハードな部活動でした。ハードな練習と生活の結果、全国大会では今も強豪校のポジションをキープし続けています。
毎学年、数名は何らかしかの形でダンスを続け、プロへの道を歩みます。もしくは、セミプロとして踊り続けます。(部活動そのものに関しては、またいつか書きたいなあと思っています)
今でこそ、踊りとその派生物で生きていこうと遅まきながら決めて、よちよちと生きている私ですが、高校3年生最後の発表会が終わった直後は、「もう絶対踊りたくない」と心の底から思い、踊りから離れることを決意しました(逆に言えば、決意が必要なほど好きだったんでしょうね)。もっと言えば、「私は踊り続けるほど、踊りが上手くないし、心も強くない。踊りでは生きていかれない」と思っていました。
これは別に間違っていない話で、私が踊りを始めたのは現代舞踊協会系のガチガチのモダンダンスの世界。だから、ヒョイっと耳の横まで足が上がったり、ヒョイヒョイっと3回転ターンができないと舞踊団に所属するなどして踊り続けることは難しい。踊り続けることはできても、たまに出る発表会が関の山。仕事にすることは難しいと思います。実際に、大学でダンスを学び続けようとするダンサーの殆どは、めちゃくちゃ上手なセンターダンサーやそれに近い人びとでした。高校生の時、私には無理、そのように判断しました。そして今も日本のモダンダンスの世界の状況はそうは変わらないと思います。今でも、多くの素晴らしいダンサーが、自分の踊りをお金に変えることなく、ボランティアで踊りを教えたり、自分も持ち出しで作品を作り、発表会に出たりしています。
悪いことじゃないけれど、本当にいいのかなあって思う。
こういう体制が巡り巡って、業界の衰退を招いているような気もする。だって、続けられないじゃん。お金がなかったら。お金が巡らなかったら。
あと、ダンスっていろんな種類があって、たとえ現代舞踊協会系のダンスの世界で生きていかれなくても、世界は広い。ストリート、チア、舞踏、コンテンポラリー、、、もっと言えばジャンルはどうでも良い。自分の表現したいものが踊れるか、舞踊団に入るんだったら、トップの先生の表現が好きかどうか、それだけで良いと思ってる。
私はあの時、高校3年生だった時、踊りと言えば自分が所属するダンス(部)の世界しか知らなくて、自分は”踊り”ではソリスト(ソロで踊る人)にもセンター(正面真ん中の一番前列で踊る人)にもなれないんだから、食べていけないし、踊りは続けても意味ないと思っていました。(繰り返します)
私の同級で、ダンサーになったのは私含めてふたり。ひとりは、社交ダンス(最近、静岡県の県大会や中部ブロックの大会で優勝。すごい)、そして、なんだかジャンル不明瞭な私。高校時代は芽が出なかったふたりです。
その特定の踊りの世界では落第生(自己認識)だった私(や彼女)でも、技術を応用したり学び続けたり、自分に合ったものと出会えたりすれば、それをお金にして生きていくことができるんだ、ということそのものが感慨深い。
パーティーの後、彼女が私に問うには、
「ダンスでどうやって今後生きていこうと思ってる?」ということでした。
パッと思いついたのは、ギルドとかユニオン。コミュニティ。
ダンサーとかアーティストって、超がつくほど有名にならない限り、無料で何かするのが当たり前になっていたりする。お金にならなくって当たり前、支払わなくて当たり前、持ち出し当たり前、という感じ。そこを解消する仕組みが必要だと思ってる。
会場となるようなバーや劇場、レストランを運営する人も一緒になって考えたい。
もうひとつは、回るのがお金以外のものであってもいいと思ってる。
たとえば、レストランが閉まっている時に、リハーサルスタジオや練習スタジオとしてそのレストランの空間を無料で借りられる、とか。うーん。その場合、私は何が返せるかなあ。
もうひとつは、大きな所からお金をもらう仕組みづくり。
私の収入は主には教えることが多いんだけれども、個人が出せるお金って限界がある。だから、会社の福利厚生として、ストレッチ講座を取り入れてもらって、私は講師、その会社の社員ならワンコインで受けられます、とか。実際にもうある仕組みだけれど、とってもいいよなあと思う。
最近、アート系ウェブメディアのCINRA様で、ストレッチ講座をスタートしたのですが、とても良い仕組みだなと思う。(また後日話します)
社交ダンスの世界は、趣味として確立していて、習う人も今は多く、教室業が成り立っている。またペアダンスならではだと思うが、パーティーなどでのダンスのパートナーというような仕事も確立しているそうだ。ただ、ダンサー友達の彼女は、習う人が高齢化したり、羽振りが悪くなっているようで、業界全体の先細りを心配しまくっていた。
ダンサー友達が指摘するには、
「ごんちゃんがやっていることは、業界が確立していなくて、しかもみんながそれで食べていけなくて当たり前と思っている所(コンテンポラリー業界ね)で、なんとか食べていこうとしている大きなチャレンジだよね」
そーーーうだったのか!と思った。確かにね〜〜。
私が踊り手として歩むのは、アーティスト/表現者であるという側面も大きいけれど、お金をどうやって生み出して、どうやってコミュニティを生み出して、私だけでなくって、かかわり合う人と、面白く生きていけるかってことにとても関心があるんだよね。
東京に帰り、思い直して、「貧乏に徹してわがままに生きろ!」でお馴染みの栗原康さん著『大杉栄伝:永遠のアナキズム』と、ラム・ダス著『ビー・ヒア・ナウ』を読んでいます。
もう一歩、踏み込んで、鶴見済さんの『0円で生きる:小さくても豊かな経済の作り方』をポチろうと思う。『バイトやめる学校』(山下陽光さん著)はぼちぼちと友達から返してもらうか〜。
自分の生き方を、仕組みにまで持っていけたら最高だよな〜〜。
と、思いつつ、ひとつひとつ、みなさんと共有していけたらと思います。
次回の自由芸術大学の講座は、5月10日(木)19時半から、素人の乱12号店にて。
次回のおいしいストレッチ教室は、5月20日(日)15時から、ロカキッチンにて。(要申し込み)
ビー・ヒア・ナウ―心の扉をひらく本 (mind books)
- 作者: ラム・ダス,ラマ・ファウンデーション,吉福伸逸,スワミ・プレム・プラブッタ,上野圭一
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