7年目の3.11へ。作品「7年。そして。」と映画「息衝く」

過ぎてしまったけれど、また1年後には巡ってくる。そういう話ではなくて。

2018年3月11日。みなさんはどこで過ごしましたか。

 

なんだか、数年前からもうその日は、単なるアニバーサリーのようで、その日だけ追悼して、思いを馳せて、祈って、終わり。日本全体を俯瞰すると、そんな日にしたい、という大きなお上の力を感じる。

 

実際は、今でも、避難されているか方もいるし、フクイチの収束作業は続いてる。復興だって道半ば。東京では、毎週金曜日には国会議事堂前や首相官邸前で反原発の抗議が行われている。全国ではデモもある。裁判も行われている。街角のカフェでは原子力を問うイベントが行われている。ひとりひとりの心の奥深くには、東日本大震災を思う気持ちが根付き、行動、生き方となって現れている。

 

3月11日は、「7年。そして。」という作品を踊りに名古屋に帰っていました。

 

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動画リンクは文章末にもあります。

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2018年3月11日。

私は、東京から離れ、地元・名古屋に帰っていました。

Team 原発いらんがね nagoya の方に招かれ、集会でのパフォーマンスとデモに参加するためです。

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Team 原発いらんがね  nagoya は、本当に雑多で、東京だったら運動体自体が別れてしまうんではないかと思うような人びとが一緒に集会を開いています。

名古屋のど真ん中、栄の公園に、オーガニック食品や、ビーガンのサンドイッチ、コーヒー、反原発グッズなどを取り扱う屋台が優しく並び、イベントと集会とマルシェが一緒になっています。こういう優しい雰囲気も好き。お日様も暖かい日でした。

屋台には、大学時代によく食べた「わっぱん」のパン屋さん(障がい者の作業所をベースにしたパン屋さん)もあり、よく遊んでいた名古屋の街並みの一角が、穏やかなお祭りになっているのがとても嬉しい。

 

名古屋はえてして、とても保守的な土地柄。大都市だけれど、人の移動が少ない。それは第一次産業から第三次産業まで、様々な産業が域内に仕事としてあり、大学や高校などの教育も充実しているためだと言われている。

そんな保守的な地元が好きではなかった。窮屈。東京に住み続けている大きな理由。

今は、名古屋や愛知県が好きだし、誇らしく思っている。そして、そんな保守的なところで、こんな集会やマルシェやデモを開催し参加している人びとのことを、とても尊敬している。名古屋に住んでいる時に、こういう人びとと出会えていたら、私の人生もまた違うものになっていただろう。

 

今回、3.11集会のために用意した作品は、「7年。そして。」というタイトル。

去年は、NORA BRIGADEという東京のデモではそこそこおなじみのラディカルマーチングバンドで出動した。それはそれはクールな楽団で、めちゃめちゃ場のテンションをあげることができる。例えばこんな。

 

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でも今年は、楽団ではなく、私ひとり。

そして、今年も原発は止まっていなくて、六ヶ所やいろんな問題はそのまま。脱原発した国もあるというのに。公文書偽造、右傾化、国の私物化、、、ますますこの国はボロボロだ。

私ひとりで、今、この2018年に、何が言えるのか。嘘のように励ますことはできない。もう大丈夫とは言えない。デモに来る、考え続ける、ひとりひとりが、この国の希望なのだけれど、出口が見えにくい今がある。2011年9月11日に、いとうせいこうが言ったように「デモ隊の諸君、君たちは路上の花だ」、その通り。一輪の花が1年365日、咲き続けることはできない。そんなことしてたら本当に生き絶えてしまう。息が詰まってしまう。

でも、明るいメッセージを発信したい。だって、まだ寒いかもしれない3月にわざわざ名古屋の都心まで集会とデモのために足を運ぶ人たちの励ましになりたいじゃないか。でも、心が辛い。だって、3月11日から、死の恐怖におののき、政治に憤り、試行錯誤し、路上に出て、友と励まし合い、歩いて、歩いて、歩いて、歩いたけれど、俯瞰した現状はどんどん悪くなっていく。不安だろ。生きていくのが。この国で。

 

作品作りは遅れに遅れた。明るいメッセージなんて出せない。私に。

でも、でも、でも、希望が見たい。希望が見たいんだ。希望を見せたい。

 

7年が経過するこの日々の中で、私は、日常的に原発のことを考えることから離れて、心の奥底に、自分の不安を埋めていたことに気づいた。

ある日、恋人と昼食を料理しようとしていた時に、恋人がまだ新鮮なきのこをゴミ箱に捨てた。聞けば、産地が放射能汚染されていると言う。その通りだ。恋人の情報源は、フクシマの研究をし続けている共通の友人なのだ。信頼できる研究者だ。私は涙が溢れてきて、自分の気持ちを振り返った。

もう、とっくの昔に、きのこや海産物や野菜を食べる不安を心の奥底に埋めたのだ。不安を押し殺して、我慢して食べてきたのだ。でなければ、東京に住むことができない。それでも東京に住むことを選んだのだ。2011年3月11日4月から、私には東京でどうしてもやりたい仕事の職を得ていた。上智大学グローバル・コンサーン研究所での仕事。人生を変えるために、それまで「正社員でなければならない」という親の価値観と圧迫を振り切って、研究所での不安定就労を選んだ。(仕事の内容は最高でしたよ)3.11直後から愛知県の実家に逃げて帰っていたのだけれど、東京に戻ったのだ。それからは、活動と仕事をおおいにエンジョイしてきた。

涙が出るほど我慢してきたとは知らなかった。

7年間。積もりに積もった。不安。不満。怒りと悲しみ。自分自身の大切な体を裏切る、愛さない行為。

言いようのない薄い白のオーガンジーのような不安がずっとあったのだ。

 

3月11日の舞台も差し迫った頃、ある1本の映画を見た。作品作りの参考になるのではないかと直感的に思った。

息衝く

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ある宗教団体をベースにした政党に関わる、その宗教団体の二世たちの3.11以後の日常を描いている。それぞれが信じたものをいつまでも手探りで歩み続ける。この世界に横たわる薄い不安。

私は、最後に、

ぼんやりとした希望、を見た。

それは日常生活に埋没している。

宝石のようにキラキラしていない。NORA BRIGADEのようにテンションもあげてくれない。恋人のような抱擁も安心もない。いとうせいこうのように心にガツンとこない。

だからこそ、リアリティを持って、これが、このうすらぼんやりした不安と希望こそが、私たちの生活であり、今なのだと思った。

終演後、木村文洋監督と、主演の柳沢茂樹さんが劇場にいらしていて、話すことができた。映画を見た感想をお伝えしているうちに、涙が止まらなくなった。ポロリと、3.11に名古屋で踊ることを伝えた。「希望が見せたい。でも見せられない」7年という時間が重くのしかかっていた。生半可なことは言えない。

 

監督が、「希望なんて見せなくていいんじゃないですかね」と言った。

不安で当たり前、もやもやしていて当然。そういう世界に、生きているのだから。

 

素直にそれを認める作品を作ればいいのだ、ようやく心が決まった。

力強くなくても、よれよれでも。

 

おふたりと話した静かな時間を今でも覚えている。細かな言葉は覚えていないが、おふたりの足の裏が地面に接していて、少し丸まった男性らしい猫背を感じた。気張らず、虚勢を張らず、そこにいる。真摯な時間だった。

この頼りなく、嘘のない実感を頼りに、私も私のよれよれの足の裏に立つ決意をしたのだ。

7年は長い。

振り返れば、飽きるほどに。子どもだって大きくなる。私だって年をとる。

変化の連続。季節も巡る。

 

作品を作る過程で、

花が、咲き、日と風に乾き、枯れ、種が宿り、土に帰り、冬に蓄え、また春に咲くように、私たちも、私たちの命を人生というサイクルの中で、いつまでも、自分の行為をありのままに行い、讃えていく、そんなところまでいけたらいいな、と思った。

私たちの歩みはそういうところまで続いているのだと思った。

もっと大きなサイクルの希望。

結果は今を生きる誰も見えないかもしれないけれど、きっと誰かが引き継いで見守ってくれるだろう。

 

7年。また止まっていた原発がまたひとつ動かされることが決まった。

 

それでも、なんであっても、あたしたちは、この足の裏で、生きて、いくんだから。

優しく生きていきたいものです。

 

 

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